今次ツアー2回目のライブは、冒頭に書いたように、演奏者との距離感の点で、こちらが近づけた感じがあり、7月のセキスイハイムスーパーアリーナの時よりも、楽しむことができた。
妻が、1回目のアンコールが終わったところで、「小田さん、膝が曲がってきた」と言った。確かに、相当お疲れの様子だった。アンコールの時には、腰も痛かったのか、手を腰の後ろにあてていた。ほとんど走らなかったし。
このブログでは、年齢を重ねる小田さんの歌やパフォーマンスについて、気になるところを何度か書いてきたが、今回の福岡で、これまでとは違った何かを、僅かではあるが、ところどころに感じた気がする。具体的にどういうことか、書くのが難しいのだが。
例えば、「言葉にできない」の歌を聴いていて、ところどころで、「崩れ」という言葉が、瞬間、頭に浮かんだ。妻も同じようなことを感じたらしい。
そうした話は置くとして、再度、本編最後のMCのこと。「次のツアー」について、いつになく前向きでない発言だった。
アンコールで歌われたアカペラ曲の歌詞に、「また会える日まで」という言葉が出てくる。また、エンディングのアニメーションの最後にも、「また会える日まで」という言葉が映し出される。
「また会える日まで」が、キーワードなのだろう。
「また会う日まで」でなく、「また会える日まで」。
あのMCと呼応する表現だ。小田さんの今の気持ちは、そこにあるということだろうか。
そう言えば、同じアカペラで、オフコース時代から繰り返し歌われてきた、「いつもいつも」だと、「また会う日まで」という歌詞が出てくる。
インタビュー記事で、何故、今、新しいツアーを、という問いに、「自分の体力や精神的なことを考えて、いつものようにオリジナルアルバムを持ってツアーをやるのでなく、ベストを出して、「早くみんなのところへ行こう」と思った」、と答えている。
体力だけでなく、精神面にもふれているところを、私は、重くとらえた。小田さん本人にしかわからないことなのだろうが、こういう発言からは、やはり様々な面で、加齢と戦っている現実があるのかもしれない、と思う。
40年近いファン歴を持つ者として、いつも通りの充実した演奏を、もちろん楽しんだ。そして、今のところチケットを入手しているあと1回、10月の横浜アリーナを楽しみにしている。
ただ、10年後、小田さんが79歳になった時、同じようにライブを楽しめることが想像できるか、と考えると、やはり時の流れという容赦のない現実はあり、いつか、アーティスト小田和正にも、マイクを置く日、ステージから去る日が来るのだ、と思わざるを得ない。
「結果として、あの時、あの会場が、自分が聴いた最後のライブだったのだ」、と振り返る場面が、いつかは来る。
1回1回が貴重さを増す今のライブを、大切に聴いていきたい。
「また会える日」が来ることを願いつつ。
※過去の関連記事
mixi「 小田さん、歌やめないで!!」に投稿
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/24867412.html
「小田和正という生き方」に寄せた文章ご紹介
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/59586938.html
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