春夏連続のベスト8は立派なものだが、この夏の大会、秀岳館も勝ち残ってきていたので、勝ち上がって対戦し、雪辱を果たしたいところだっただろう、
木更津総合高校は、木更津中央高校として設立された(その後、現校名に改称)。昨年亡くなった真板益夫理事長が、木更津から甲子園に行くチームを出したいと、野球部に力を入れていた。
母校ではないが、地元高校であり、野球部の動向は気にしていた。
これまで、甲子園には、春3回(1971年、2015年、2016年)、夏5回(2003年、2008年、2012年、2013年、2016年)、出場している。
ちょうど木更津に帰省中で、父がお世話になっている介護施設に向かう途中、車のラジオでこの試合を聞いていた。
父の施設に行く道の途中に、木更津総合高校がある。その脇を通りながら、今頃、学校の中では、みんなで応援しているだろう、と思ったものだ。
そのことで思い出すのが、1971年のセンバツである。この大会、木更津中央高校(当時)は、ベスト4に残った。これは、同校の過去最高の成績である。
私には、中学校を卒業し、高校に入学する春休みのことだった。
惜しくも決勝進出を逃し、甲子園から帰ってくる選手たちを、木更津駅の駅頭で出迎えるイベントが行われることになった。
イベントに際して、地元の消防隊の音楽隊が演奏を行うにあたり、それに参加しないかという誘いをもらった。私は、中学校ではサークルでアルト・サキソフォンを吹いていたのだが、サークル仲間のT君の父上が、消防隊音楽隊の指揮者を務めており、その関係で誘いがあったものと記憶する。
イベント当日は、高校の入学式の前日であった。明日が入学式という日に、そういうものに参加することを、母には反対されたが、どうしても出たいと押し切った。
T君ともども、消防隊の制服に身を包み、木更津駅西口駅前で行われた演奏に参加した。
その時の写真を、実家の古いアルバムから見つけた。
消防車が写っているので、消防署で、たぶんT君の父上に撮っていただいたものだろう。右にいるのがT君である。
(ちなみに、この時の私は、今より25キロくらいは体重が軽かったと思う。身長は既に今と変わらないが(汗))。
昨日の、木更津総合高校の選手たちの帰郷、同じようなイベントは行われたのだろうか。