今日17日(土)は、午前中、季節の挨拶で酒々井の親戚の家に行ってきた。
東関道を往復する中での話題を2つ。
●その1
車窓右手の雑木林みたいなところから、白い煙が上がっているのが見えた。
一瞬、山火事か? などと思ったのだが、次の瞬間、「そう言えば、昔は火の見櫓というものがあったっけ!」と、唐突に思い出した。
火の見櫓。
望楼。
知ってます?
知ってるのは、どうだろう、50代半ばから上の世代かな。
火の見櫓のてっぺんに、消防署の人がいて、東西南北をぐるぐるとまわって歩きながら、町中のどこかで煙が上がってはいないか、と見張ってくれている。
そして、もし煙や火の手を目撃すると、頭上に吊してある半鐘(これも知ってます?)を叩いて、町中に火事を知らせる。
そういう目的の建造物である。
私の家の庭からも、火の見櫓が見えた。櫓で巡回している消防署の人も見えた。
それはそうだ。見えなければ機能が果たせないわけだから。
つまり、当時(昭和30年代)の木更津は、ビルなどはなく、町のほとんどの家は平屋かせいぜい2階建てだったはずだ。
また、電話の普及率も、まだ100%ではなかったのではないか。出火元の家が、必ずしも119番を発信できるとは限らなかったと思う。
やがて、町に高い建物が建つようになって、火の見櫓はその機能を失った。電話が普及したこととも併せて、火の見櫓というものは、姿を消したのだろう。
おそらく、全国どこでも同じ推移だったと思う。
木更津の火の見櫓が、いつなくなったのか、具体的な記憶がない。
●その2
これも車窓から、「HOTEL アモーレ 1km」という赤い看板が見えた。
アモーレ。
つい、長友侑都と平愛梨の顔が頭に浮かんでしまった(笑)。
まさか、来てないよね、二人(爆)。
これを書くにあたって、彼らの名前を確認しようと思って、Googleで「アモーレ」を検索してみたら、何と、その「HOTEL アモーレ」が一番上に表示された。
せっかくなので、URL、引用しておきます(笑)。
興味のある方は、行ってみて下さい。