公演のプログラム冊子から。
ストリートコーラスに、与那城敬氏、ロックバンドのキーボードに、白石准氏の名前を見つけた。浦安オケにソリストとしてお招きしたことがある方々だ。
また、面識はないが、日頃、その著書をよく読んでいる、福島章恭氏が、合唱指揮を担当され、ファルセット・コーラスの一員としても舞台に登場された。
(Twitterにおいて、「場当たり稽古終了」との福島氏のツイートに、「明日、千葉から聴きに行きます」、と返信したところ、光栄にも、以下の返信を頂戴した。「遠方より有り難うございます。型破りな問題作であることは間違いありません。聴く、観るというより体験する、というのが当たっているでしょうか! ご期待に応えられるよう一同精一杯のステージにします」)
さて、今回、いても立ってもいられず、大阪まで足を運んだ、バーンスタインの「ミサ曲」という曲には、個人的には多少の思い出がある。
畑中良輔氏の月評を読んだ。推薦盤だったし、同年の声楽曲部門のレコード・アカデミー賞を受賞している。
しかし、その自演盤を購入したのは遅く、8年後、1980年の秋で、既に社会人になっていた。
やっと聴いてみた「ミサ曲」は、正直、ピンとくる音楽ではなく、以後、愛聴盤にはならなかった。この曲に限らず、バーンスタインの作品は、日頃あまり聴かない。
ただ、初演時に毀誉褒貶があった「ミサ曲」を再評価する評論を、その後、いくつか目にするようになったし、実際、自演盤以外の録音もいくつかリリースされている。
いずれにしても、実演に接する機会はめったにない曲であり、この貴重な機会に、ナマで体験してみたい、と強く思っての大阪行きであった。
そして、やはり、来てよかった、とつくづく思った。実演の場で、音を聴いてみて、この曲がどういう曲なのか、よくわかった。これまでのLP、CDでの聴体験では、とてもここまで作品に近づけていなかった。
また、この曲は、シアターピースとも称されていて、オペラ同様、視覚的な要素も大きい。その点でも、実際の舞台を観られたことは、大変ありがたいことだった。
今、「わかった」と、うかつにも書いてしまったが、事前の勉強もほとんどしておらず(何しろ前夜にチケットを買ったくらいなわけで)、せいぜい、大阪への道々、自演盤の音源をウォークマンで聴いて行った程度なので、作品の知識も理解も、いまだ乏しい。
以下は、あくまで、私が観たもの、あるいは、私としてはこのように理解した、というレベルの、まったく私的な感想である。
テープ音楽で曲が始まった時点で、ピットにオケはおらず、曲が進行する中で、入場してきた。指揮者も一緒に入ってきたようだ(つまり、開演時に指揮者が拍手を受ける場面はなかった)。
緞帳が上がると、左右にバンド。上手の花道にブラスの一群。私の席からは、下手側がどうなっているかは、見えなかった。
音響は、歌もオケもPAを介して提供されていた。敢えてそういう作り方にしていたのかもしれないが、音を出している人がいる方向から、音が聞こえてこない。例えば、バンドの音が、上手側のロックバンドなのか、下手側のブルースバンドなのか、つかみづらかったりした。
時に、モノーラル音源のように、音全体が混然として聞こえることもあった。意図的なものなのか。
キリエなど、典礼文に沿って、ミサが進行するかと思いきや、そうではない。
舞台中央上方に、日本語字幕が表示されるので、それを追いながらの理解では、1970年代という時代の病理というか、当時のアメリカが抱えていた悩みのようなものが吐露されていく。
(前記の通り、確たる勉強をせずに聴いている立場からの、思いつき的な理解である)
(前記の通り、確たる勉強をせずに聴いている立場からの、思いつき的な理解である)
尚、歌が日本語で歌われる場面も多々あった。関西弁もしばしば使われた。字幕訳は、総監督・指揮・演出の井上道義氏だが、大阪での上演ということで、意図的にそういう演出にしたのかもしれない。
司祭が、通常通りのミサを進めようとしても、素直に神を信じられない、素直に神に祈れない、そういう庶民、民衆? の声が、それを遮るように感じられた。
今回の公演は、休憩をはさむ2部構成で行われた。作品自体は、第1部、第2部とは分かれていないが、第9曲の「福音書 説教「神は云われた」」がすっと終わったところで、指揮者がお辞儀などはせぬまま指揮台を下りて退場し、舞台も暗転した。ここで拍手が沸いた。
休憩後は、第10曲の「クレド」から。
後半も、舞台上で、それぞれの人物から、神、あるいは信仰についての、それぞれの思いが表明される。
私には、「矛盾」というものが、色濃くなっていくように感じられた。
そして、司祭はおそらく無力なのだ。何かにつけ「祈りましょう」と言い、神からの言葉を待つように説くが、色濃くなっていく矛盾を解決できない。
たぶん、矛盾を解決するのは、ミサを進行する司祭ではなく、まさに神そのものなのだろう。つまり、ここで、神自体が何かを問われているのか、と感じた。
司祭は、次第に悩みを濃くしていき、最後は壊れる。その頂点が、聖杯の破壊の場面だろう。
このあたりで、舞台中央上方の日本語字幕の表示が、天井に向かって上がって行き、見えなくなった。直前に、表示に乱れが出たように見えたので、もしかすると故障したために引き上げたのかもしれない、と思った。あるいはそうではなく、予定の演出なのかもしれないが、以後の歌がすべて日本語だったわけではなかったので、少なくとも私には、そこから終幕までの話の流れがわかりにくく感じた。
司祭は、ピットに転落する形でステージから一旦去る。
最終曲では、ボーイ・ソプラノのソロが活躍し、聖杯破壊時に床に倒れた人々が再び起き上がる。司祭も戻ってきて、「キャンディード」の「畑を耕そう」をちょっと思い出させるようなコラールとなる。
日本語字幕がなかったので、その流れがよくわからないものの、そこに何かの解決、あるいは救済があったということのように思えた。
そして、最後の場面で、司祭が法衣をまとっていないことに、大きな意味があるように感じた。
「ミサは終わった」という最後の台詞は、指揮者が語って、全曲が終わった。
長いカーテンコールが続いた。私も、最後の1人が舞台を去るまで、スタンディングオベーションを続けた。会場を後にしたのは、21:38だった。
先にも書いたように、この作品の実演にふれることができて、大変幸せな時間だった。
そんなこともあって、聴いていて、結局、ミサ、信仰をテーマにしたミュージカルなのかな、という気もした。
私の右隣の席に座っていた女性が、曲の途中で、しばしば笑っていた。くすっと笑うといったものでなく、寄席の客席でのように声を出して笑っていた。こちらは、クラシックの演奏会として、結構シリアスな気持ちで観賞していたのだが、もしかすると、その女性のような楽しみ方も、「あり」なのかもしれない、とも思った。
この曲をミュージカルととらえる見方は、ヴェルディのレクイエムが、レクイエムと言いながら、結局はオペラではないのか、と言われることと同じと言えば同じなのかもしれない。
ただ、同時に思ったのは、「ミサを題材にした物語(お話)」では、絶対にない、ということだった。
バーンスタインは、ミサを「題材」として、この作品を書いたのではない。彼は、あくまで、真に「宗教曲そのもの」として、真に「ミサ曲そのもの」として、この作品を書いたはずだ、と私には思える。これは断言してもいいかと思う。
バーンスタインが、この曲に込めたもの、この曲で言いたかったことは、私にはまだほとんどわかっていない。勉強も足りないし、あるいは勉強してもわからないのかもしれない。
ただ、「ウエストサイド・ストーリー」が、若い男女の悲劇を描いた、まさに「ストーリー」、物語であったのと、この「ミサ曲」とは、決定的に異なるものだと思う。
このことだけは、貴重な実演に接したことで、よくわかった気がする。
オーケストラ、バンド、ソリスト、合唱、ダンスが融合する、シアターピース。実演の舞台をまとめるのは、大変なことだっただろうと思う。
バーンスタインが、この公演を観たら、きっと大いに喜んだのではないだろうか。
急に決めた大阪行きだが、来てよかった。繰り返しそう思った。
出演者、スタッフの皆さんに、心から感謝したい。
22時になろうという時間なのに、淀屋橋のあるビルに表示されていた気温は、29.5℃だった。
淀屋橋のホテルの近くまで戻って、まだ営業している店を見つけて入り、生ビールと焼酎の水割りで、クールダウンした。