naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

初めてのフェスティバルホールでバーンスタイン「ミサ曲」<2>

公演のプログラム冊子から。

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ストリートコーラスに、与那城敬氏、ロックバンドのキーボードに、白石准氏の名前を見つけた。浦安オケにソリストとしてお招きしたことがある方々だ。

また、面識はないが、日頃、その著書をよく読んでいる、福島章恭氏が、合唱指揮を担当され、ファルセット・コーラスの一員としても舞台に登場された。

(Twitterにおいて、「場当たり稽古終了」との福島氏のツイートに、「明日、千葉から聴きに行きます」、と返信したところ、光栄にも、以下の返信を頂戴した。「遠方より有り難うございます。型破りな問題作であることは間違いありません。聴く、観るというより体験する、というのが当たっているでしょうか! ご期待に応えられるよう一同精一杯のステージにします」)

さて、今回、いても立ってもいられず、大阪まで足を運んだ、バーンスタインの「ミサ曲」という曲には、個人的には多少の思い出がある。

バーンスタインの自演盤がCBSソニーから発売されたのが、1972年の秋。同年の「レコード芸術」の確か10月号の表紙が、その盤のジャケットだった(当時は新譜のジャケットが表紙だった)。

畑中良輔氏の月評を読んだ。推薦盤だったし、同年の声楽曲部門のレコード・アカデミー賞を受賞している。

当時、私は高校2年で、クラシックの聴き始め、またバーンスタインのファンになっていった頃だった。そのため、作曲家でもあるバーンスタインの話題の新作が話題になったことは、記憶に残っている。

しかし、その自演盤を購入したのは遅く、8年後、1980年の秋で、既に社会人になっていた。

やっと聴いてみた「ミサ曲」は、正直、ピンとくる音楽ではなく、以後、愛聴盤にはならなかった。この曲に限らず、バーンスタインの作品は、日頃あまり聴かない。

ただ、初演時に毀誉褒貶があった「ミサ曲」を再評価する評論を、その後、いくつか目にするようになったし、実際、自演盤以外の録音もいくつかリリースされている。

いずれにしても、実演に接する機会はめったにない曲であり、この貴重な機会に、ナマで体験してみたい、と強く思っての大阪行きであった。

そして、やはり、来てよかった、とつくづく思った。実演の場で、音を聴いてみて、この曲がどういう曲なのか、よくわかった。これまでのLP、CDでの聴体験では、とてもここまで作品に近づけていなかった。

また、この曲は、シアターピースとも称されていて、オペラ同様、視覚的な要素も大きい。その点でも、実際の舞台を観られたことは、大変ありがたいことだった。

今、「わかった」と、うかつにも書いてしまったが、事前の勉強もほとんどしておらず(何しろ前夜にチケットを買ったくらいなわけで)、せいぜい、大阪への道々、自演盤の音源をウォークマンで聴いて行った程度なので、作品の知識も理解も、いまだ乏しい。

以下は、あくまで、私が観たもの、あるいは、私としてはこのように理解した、というレベルの、まったく私的な感想である。

テープ音楽で曲が始まった時点で、ピットにオケはおらず、曲が進行する中で、入場してきた。指揮者も一緒に入ってきたようだ(つまり、開演時に指揮者が拍手を受ける場面はなかった)。

緞帳が上がると、左右にバンド。上手の花道にブラスの一群。私の席からは、下手側がどうなっているかは、見えなかった。

音響は、歌もオケもPAを介して提供されていた。敢えてそういう作り方にしていたのかもしれないが、音を出している人がいる方向から、音が聞こえてこない。例えば、バンドの音が、上手側のロックバンドなのか、下手側のブルースバンドなのか、つかみづらかったりした。

時に、モノーラル音源のように、音全体が混然として聞こえることもあった。意図的なものなのか。

キリエなど、典礼文に沿って、ミサが進行するかと思いきや、そうではない。

舞台中央上方に、日本語字幕が表示されるので、それを追いながらの理解では、1970年代という時代の病理というか、当時のアメリカが抱えていた悩みのようなものが吐露されていく。
(前記の通り、確たる勉強をせずに聴いている立場からの、思いつき的な理解である)

尚、歌が日本語で歌われる場面も多々あった。関西弁もしばしば使われた。字幕訳は、総監督・指揮・演出の井上道義氏だが、大阪での上演ということで、意図的にそういう演出にしたのかもしれない。

司祭が、通常通りのミサを進めようとしても、素直に神を信じられない、素直に神に祈れない、そういう庶民、民衆? の声が、それを遮るように感じられた。

今回の公演は、休憩をはさむ2部構成で行われた。作品自体は、第1部、第2部とは分かれていないが、第9曲の「福音書 説教「神は云われた」」がすっと終わったところで、指揮者がお辞儀などはせぬまま指揮台を下りて退場し、舞台も暗転した。ここで拍手が沸いた。

休憩後は、第10曲の「クレド」から。

後半も、舞台上で、それぞれの人物から、神、あるいは信仰についての、それぞれの思いが表明される。

私には、「矛盾」というものが、色濃くなっていくように感じられた。

そして、司祭はおそらく無力なのだ。何かにつけ「祈りましょう」と言い、神からの言葉を待つように説くが、色濃くなっていく矛盾を解決できない。

たぶん、矛盾を解決するのは、ミサを進行する司祭ではなく、まさに神そのものなのだろう。つまり、ここで、神自体が何かを問われているのか、と感じた。

司祭は、次第に悩みを濃くしていき、最後は壊れる。その頂点が、聖杯の破壊の場面だろう。

このあたりで、舞台中央上方の日本語字幕の表示が、天井に向かって上がって行き、見えなくなった。直前に、表示に乱れが出たように見えたので、もしかすると故障したために引き上げたのかもしれない、と思った。あるいはそうではなく、予定の演出なのかもしれないが、以後の歌がすべて日本語だったわけではなかったので、少なくとも私には、そこから終幕までの話の流れがわかりにくく感じた。

司祭は、ピットに転落する形でステージから一旦去る。

最終曲では、ボーイ・ソプラノのソロが活躍し、聖杯破壊時に床に倒れた人々が再び起き上がる。司祭も戻ってきて、「キャンディード」の「畑を耕そう」をちょっと思い出させるようなコラールとなる。

日本語字幕がなかったので、その流れがよくわからないものの、そこに何かの解決、あるいは救済があったということのように思えた。

そして、最後の場面で、司祭が法衣をまとっていないことに、大きな意味があるように感じた。

「ミサは終わった」という最後の台詞は、指揮者が語って、全曲が終わった。

長いカーテンコールが続いた。私も、最後の1人が舞台を去るまで、スタンディングオベーションを続けた。会場を後にしたのは、21:38だった。

先にも書いたように、この作品の実演にふれることができて、大変幸せな時間だった。

「ウエストサイド・ストーリー」を思わせるようなリズム、音楽も、しばしば出てきたことから、ああ、やっぱりバーンスタインの音楽、と思った。

そんなこともあって、聴いていて、結局、ミサ、信仰をテーマにしたミュージカルなのかな、という気もした。

私の右隣の席に座っていた女性が、曲の途中で、しばしば笑っていた。くすっと笑うといったものでなく、寄席の客席でのように声を出して笑っていた。こちらは、クラシックの演奏会として、結構シリアスな気持ちで観賞していたのだが、もしかすると、その女性のような楽しみ方も、「あり」なのかもしれない、とも思った。

この曲をミュージカルととらえる見方は、ヴェルディのレクイエムが、レクイエムと言いながら、結局はオペラではないのか、と言われることと同じと言えば同じなのかもしれない。

ただ、同時に思ったのは、「ミサを題材にした物語(お話)」では、絶対にない、ということだった。

バーンスタインは、ミサを「題材」として、この作品を書いたのではない。彼は、あくまで、真に「宗教曲そのもの」として、真に「ミサ曲そのもの」として、この作品を書いたはずだ、と私には思える。これは断言してもいいかと思う。

バーンスタインが、この曲に込めたもの、この曲で言いたかったことは、私にはまだほとんどわかっていない。勉強も足りないし、あるいは勉強してもわからないのかもしれない。

ただ、「ウエストサイド・ストーリー」が、若い男女の悲劇を描いた、まさに「ストーリー」、物語であったのと、この「ミサ曲」とは、決定的に異なるものだと思う。

このことだけは、貴重な実演に接したことで、よくわかった気がする。

オーケストラ、バンド、ソリスト、合唱、ダンスが融合する、シアターピース。実演の舞台をまとめるのは、大変なことだっただろうと思う。

バーンスタインが、この公演を観たら、きっと大いに喜んだのではないだろうか。

急に決めた大阪行きだが、来てよかった。繰り返しそう思った。

出演者、スタッフの皆さんに、心から感謝したい。

22時になろうという時間なのに、淀屋橋のあるビルに表示されていた気温は、29.5℃だった。

淀屋橋のホテルの近くまで戻って、まだ営業している店を見つけて入り、生ビールと焼酎の水割りで、クールダウンした。

   興奮さめやらず
      https://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/65802119.html