三月場所初日。
無観客開催の初日である。
やはり、異様だった。
この日の午後、同じく無観客の弥生賞ディープインパクト記念をテレビで観た。中山競馬場。
パドックにも本馬場にも観客がいなくて、がらんとした状況。スタート前のファンファーレに歓声が上がるでもない。そうした違和感はあったものの、レースそのものの中継映像は、観客席が近くに映るわけではないので、いつもと同じ感じで観ることができた(正面スタンドを2周する距離だったら、違ったか?)。
それに比べての相撲は。
私がテレビ(録画)で観たのは、15:05の地上波中継開始からだった。冒頭に土俵が映った瞬間の違和感は、競馬とは格段の違いだった。
土俵と観客席の近さが、競馬場とはまったく違う。
最初に映ったのは、十両の取組途中、照ノ富士=大翔鵬の対戦だったが、見えた映像からの連想は、前相撲の画面だ。いや、前相撲でも、僅かながら観客はいる。観客がまったくいない中継画面というものは、視聴者の誰もが初めて観たはずだ。
いつもと同じ館内放送が聞こえる。これって要るの? と瞬間思った。テレビ桟敷で観戦する者にとっては、情報としてはなくても困らない。場所の雰囲気を伝えてくれるものではあるが。
やがて、幕内土俵入り、そして横綱土俵入り。これも、あ、土俵入りはやるんだ、と思ったりしたが、考えてみればやっぱり省略できるものではないのだろう。
しかし、拍手の一つも聞こえない幕内土俵入り、そして、「よいしょ」の声がかからない横綱土俵入り。当の力士たちにとっては、本場所以外の巡業や花相撲も含めて、入門以来初めて経験することだっただろう(客席がガラガラの土俵で相撲を取った経験は、まだしもあるにせよ)。
(同じく無観客で行われている、プロ野球のオープン戦を、テレビで何度か観た。こちらは、観客の声援こそないものの、両軍ベンチから声は出ているので、まったく静かなわけではない。チーム競技である野球と、相撲との違いを改めて感じた)
協会御挨拶での、八角理事長の挨拶は、普段の型通りのものとはまったく違い、力士の四股や土俵入りの意味と、今回の新型コロナウイルス問題とを関連させた、大変聞かせる内容だった。伝えられる感染対策も含めて、場所の開催に踏み切った決意や覚悟が伝わってきた。
そんな進行の中、初日恒例、正面解説の北の富士さんは、目の当たりにする館内の状況がショックだったのか、元気がなかった。向正面の舞の海は、普段通りのしゃべりだったが。
また、実際に相撲を取る力士たちについても、個々の取組を観ていると、モチベーションを上げきれなかった力士、いつもとそう変わらずに取れた力士、様々だったように感じる。
初日を見終わってわかったこと。
相撲場、その現場では、「観客がいない」ことを別にして、力士はもちろん、行司も呼び出しも、そこに携わるすべての人が、「やることはいつもと同じ」を心がけているのだ、と思った。
だから、館内放送もいつもの通りだったのだろう。
検温や、入館時の手指の消毒など、普段と違うことがたくさんありながら、すべての人が、「お客さんがいなくても、やることはいつもと同じ」と、自分に言い聞かせて、初日を全うしたように思う。そのことに、敬意を表したいと思った。
そういう気持ちの運び方の中、これも誰もが、大なり小なり、何かつかめぬままの初日を終えたのだろうと思う。
これをあと14日間続けるのは、大変だろう、とつくづく思った。特に、今回の場所開催は、感染者が出たらその時点で中止になるとされている。千秋楽まで場所が行われるかどうかがわからない前提というのは、尚更気持ちの面で難しいものがあるだろう。
そうした中で、場所の成績や優勝争いという点では、この大きな違和感に、早く慣れて、ペースをつかむことができた力士が有利だろうと思う。
そのへんの見きわめは、とりあえず序盤5日間くらいでついてくるのだろうか。観戦側からすれば、一つの見どころと言える。大変せつない話だが。
ともかく、場所は行われ、それをいつもの場所と同じく、我々はテレビで観ている。北の富士さんを始めとするNHKの解説者の皆さんにも、この状況に早く慣れていただいて、いつものように、放送席から視聴者を盛り上げていただきたいと思う。
全力士が無事に千秋楽まで勤め上げられることを、切に願う。