naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

どうなる、新型コロナウイルス・・・

新型コロナウイルスの話題は、楽しくも何ともないので、あんまり書きたくはないのだが、生活記録としての意味合いもある、このブログ。後年、読み返すこともあろうかと、ここで少し書いておく。

 

まず、東京オリパラの件。

 

直近の情報では、トランプ大統領が延期に言及し、IOCのバッハ会長は、WHOの助言に従うと発言したとか。

 

その一方、安倍総理も、森組織委員長も、小池都知事も、延期や中止は考えていないと言っているそうだ。

 

でも、それって、無理でしょ。

 

当の安倍総理が、入国制限の拡大に関連して「国民の健康や命を守るため、必要な対応策を躊躇なく実行に移していく」って言ってるんですよ。7月の時点で、いくつもの国の選手団を入国させられない、ということになっているかもしれない。

 

逆に、日本側が拒否しなくても、外国選手団の側が、日本は危なそうなので行きません、と言うケースも考えられる。
(少し前に、サッカーでそういうの、ありませんでしたっけ)

 

現状、中国は、1日の新規の感染者数が1ケタになるなど、収束に向かっているとも聞く。

 

日本も、ここで持ちこたえれば、7月には収束しているかもしれない、と期待する向きもあるだろう。

 

しかし、全世界的に考えれば、このウイルスの感染拡大、収束には、国、地域によるタイムラグがあるはずだ。

 

だから、仮に、7月の段階で、開催国である日本国内では、幸いなことにウイルスが治まっていたとしても、全世界的にはリスクを抱えた国、地域がまだまだ残っている可能性があり、そうした所からの選手団を受け入れてしまっては、治まった事態が再燃し、元も子もなくなる懸念がある。

 

予定の国、地域の選手団が、全員無事に来日して、競技をして帰る、というのは、既に無理なのではないか。

 

既にギリシャで聖火も採火され、今月中には国内で聖火リレーが始まるなど、7月に向けた準備はますます加速する。

 

やめます、というのは、日ごとに難しくなっていくはずだ。

 

軌道修正は、早い方がいい。もう既に、考えるべき時期ではないだろうか。

 

スポーツ界では、プロ野球も、Jリーグも、選抜高校野球も、皆、それぞれのタイムリミットを抱える中で、苦しい決断をした。特に、野球以外も含めた学生スポーツは、誠に気の毒な事態になっている。

 

そうした中、オリンピックだけは別だ、当たり前じゃないか、と言いたい人、そういう立場の人がたくさんいるであろうことはわかる。しかし、オリンピックだからこそ、別というわけにはいかないのではないか。

 

開催国の日本だけでない、世界的なウイルス問題の中での、世界的な大会だからだ。

 

先の、マラソンの開催地変更については、IOCが問答無用で決めたが、東京の暑さ、などという局部的な事とはまったく異なるこの事態。今回も最終的には天の声が下るのではないだろうか。

 

そのIOCに下駄を預けられたWHO、さてどうする?

 

さて、次に、このウイルス問題の、今後全体的ななりゆきについてである。

 

暖かくなったら、ウイルスもおとなしくなるだろう、という当初の期待は誤っている、との話が、ここに来て聞かれるようになった。

 

収束まで、半年、あるいは1年スパンを想定すべきとの見解も出てきている中、今、行われている、さまざまな対応を、一体どこまで続けねばならないのか、と重苦しい気分になる。

 

大きな議論のあった、学校の全国一斉休校からして、春休み前だったから、無理無理突入して進行中だが、これ、いつ、どういうふうに解除するのか。

 

4月に入っても新学年の新学期が始められない、もしかしたら、そのまま半年経って、2学期も始められない、なんてことに?

 

あるいは、一連のスポーツ関係の中止、延期、芸術関係の中止、延期の問題もそうだ。

 

不要不急の外出見合わせによる、旅行を始めとする個人消費の減少。

 

これらは、それぞれの興行主や、ホテル業界、旅行業界の経営を直撃する。

 

政府の対応がまったくないわけではないが、どうも見ていると、
   経済(企業)活動>スポーツ活動>芸術活動
というふうな取り扱いになっているように感じられる。

 

フリーランスの補償についての議論もあったが、とにかく、「それによって食べている」活動ができない人たちのひろがりがどれくらいなのか。企業活動の低下に比べて、把握しづらい面があるのではないだろうか。

 

何にせよ、こうした状況はいつ解除されるのか。現時点では先がまったく見えないが、本当に半年、1年とこの状況が続けば、大小の企業倒産や、個人の自己破産等が続発する可能性があり、社会経済的には大変な状況になる。

 

先行した中国が、本当に収束しつつあるのなら、それが希望的なモデルになるが、果たしてどうなのだろうか。

 

そこで思うのだが、もし、まだ光の見えない状況が続くのであれば、我々としては、思考の前提を変えることも考えなければならないような気がする。

 

つまり、当初から思い描き、待ち望んでいた、「新型コロナウイルスは治まり、完全に安心できる状態になったので、元の生活に戻りましょう」という状態が、もしかしたら、当分来ないのではないか。それを前提に置くということだ。

 

報道では、連日、どこで何人の感染者が出て、その経路はどうだったか、という報道がされている。そうした情報も大切だが、そこだけを突き詰めていったところで、危険をシャットアウトして身の安全が図れるというものでもないように思えるのだ。

 

上で、オリパラについて書いたのと、裏腹なことを言うようだが、「もう大丈夫」という時期が、すぐには来ない、という前提で、学校にせよ、スポーツにせよ、芸術関係にせよ、活動を再開する方向に舵を切って行かなければならない時期、そういう決断をしなければならない時期が、遠からず来るのではないか。

 

外に出て、学校に行きましょう、スポーツ観戦に行きましょう、演奏会に行きましょう、旅行や買物に行きましょう、と。

 

つまり、「完全に安心できない状態」を前提に、例えば、ある演奏会について、主催者側として講ずるべき措置が何なのかを、専門家の知見を集めて議論し、また、その上で、そこに出かけて行く個々人としては、ノーリスクでない前提で、どういう注意を払い、どういう覚悟が必要かを、同様に議論することを始める必要があるのではないか。

 

劇場で、座る間隔を空けるとすれば、主催者側の収入は減る。出かける個々人も、そこに行く以上はノーリスクではない。互いにリスクをどう分け合うか、という観点からの検討である。

 

それをどこかで始めないと、今のままを続けて行く先では、倒産・破産が続発し、あるいは多数の自殺者が出る可能性もある。ウイルス感染で死ななくとも、社会経済的な理由で死ぬ人が出てきてしまう。

 

また、休校問題については、必要な教育を受けられぬままの子供たちを、いつまで放置するのか、ということになる。考えられないことだが、1年程度は遅れてもいいと割り切るべきなのか。

 

「元に戻していくこと」。そのタイミングや判断基準は、大変難しい。休校して下さい、自粛して下さい、と言うよりも遥かに難しいだろう。

 

ただ、これまでの、手をこまぬいていては、感染がどこまで拡がるかわからない、大変なことになる、という議論とは別の意味での、「大変なこと」が、遠からず起きそうにも思うのだ。

 

もちろん、誰にも答えが出せないことだ。

 

その意味で、今、全世界の人類が、過去のどんな天災、災厄よりも、深刻な状況、社会経済が崩壊しかねないレベルの危機に直面していると言わなければならないのだろうか。

 

その時々の、正しい情報がほしい、とつくづく思う。

 

今回の問題で痛感させられるのは、政治にせよ、専門家にせよ、メディアにせよ、それぞれの立場からの発信をしていて、我々一般市民レベルにすっきり理解できる単一な情報がない、ということだ。

 

個人的には、どの人が言うことにも、大なり小なり不信感を抱かざるを得ないと感じる。

 

何とかならないものだろうか。