naokichiオムニバス

66歳会社員。ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

「たった今飲んだ薬の数」よりも

さだ(まさし)さんのアルバム「夢供養」所収の「療養所」(サナトリウム)という曲がある。

 

「夢供養」は、私にとってさださんのアルバムの中でのベストワン候補だが、そこに収められている曲の中で、この「療養所」には、初めて聴いた時から心打たれるものがあった。
(後奏のエレキギターが、Ddur、長調であるのに、何ともせつなく悲しい)

 

この歌の中に、こんな歌詩がある。

 

   たった今飲んだ薬の数さえ
   すぐに忘れてしまう彼女は しかし
   夜中に僕の毛布をなおす事だけは
   必ず忘れないでくれた

 

歌の主人公の青年が退院するにあたり、同じ病室にいたおばあさんについて語っている言葉だ。

 

このアルバムを夢中で聴いていた若い頃には、今で言う認知症、当時の痴呆症は、私にとって身近なものではなかった。「たった今飲んだ薬の数さえすぐに忘れてしまう」という言葉に、歳をとる、老いる、というのは、そういうことなのかもしれないな、と漠然と思っていたものだ。

(「夢供養」は、1979年4月10日発売。さださん27歳の誕生日で、当時私は23歳だった)

 

40年余りの歳月が過ぎ、自分自身が老境と言える60代後半に入った現在、この歌詩への見方は変わった。

 

あのね、「飲んだ薬の数」を忘れるんじゃないんだよ。「薬を飲んだかどうか」を忘れるんだよね。

 

そうじゃありません?

 

私、そうなんですよ。風邪薬みたいに、「1日3回、食後に服用」とか言う薬があったとして、例えば昼食後しばらくして、「あれ? 俺って、今、薬飲んだっけか?」と思うことがしばしばだ。
(そう言えば、妻も夕食の後に同じようなことを言っていることがあるな)

 

数分前に薬を飲んだかどうかを忘れるのだ。口の中に飲んだ感触が残っているか? と確かめ直すんだけどわかんない。

飲んでない確信がないんで、これは昼食後もしかして2回目じゃないかと思って、躊躇してやめたり。

 

2錠飲んだのか、3錠飲んだのか、ではなく、そもそも飲んだのかどうか。

 

私の場合、歳をとる、老いる、というのは、こういうことだったようだ。

 

※「療養所」歌詩
    https://www.uta-net.com/song/33517/

 

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