さだ(まさし)さんのアルバム「夢供養」所収の「療養所」(サナトリウム)という曲がある。
「夢供養」は、私にとってさださんのアルバムの中でのベストワン候補だが、そこに収められている曲の中で、この「療養所」には、初めて聴いた時から心打たれるものがあった。
(後奏のエレキギターが、Ddur、長調であるのに、何ともせつなく悲しい)
この歌の中に、こんな歌詩がある。
たった今飲んだ薬の数さえ
すぐに忘れてしまう彼女は しかし
夜中に僕の毛布をなおす事だけは
必ず忘れないでくれた
歌の主人公の青年が退院するにあたり、同じ病室にいたおばあさんについて語っている言葉だ。
このアルバムを夢中で聴いていた若い頃には、今で言う認知症、当時の痴呆症は、私にとって身近なものではなかった。「たった今飲んだ薬の数さえすぐに忘れてしまう」という言葉に、歳をとる、老いる、というのは、そういうことなのかもしれないな、と漠然と思っていたものだ。
(「夢供養」は、1979年4月10日発売。さださん27歳の誕生日で、当時私は23歳だった)
40年余りの歳月が過ぎ、自分自身が老境と言える60代後半に入った現在、この歌詩への見方は変わった。
あのね、「飲んだ薬の数」を忘れるんじゃないんだよ。「薬を飲んだかどうか」を忘れるんだよね。
そうじゃありません?
私、そうなんですよ。風邪薬みたいに、「1日3回、食後に服用」とか言う薬があったとして、例えば昼食後しばらくして、「あれ? 俺って、今、薬飲んだっけか?」と思うことがしばしばだ。
(そう言えば、妻も夕食の後に同じようなことを言っていることがあるな)
数分前に薬を飲んだかどうかを忘れるのだ。口の中に飲んだ感触が残っているか? と確かめ直すんだけどわかんない。
飲んでない確信がないんで、これは昼食後もしかして2回目じゃないかと思って、躊躇してやめたり。
2錠飲んだのか、3錠飲んだのか、ではなく、そもそも飲んだのかどうか。
私の場合、歳をとる、老いる、というのは、こういうことだったようだ。
※「療養所」歌詩
https://www.uta-net.com/song/33517/