naokichiオムニバス

69歳、公務員、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

荒井由実を聴く

昨年12月にNHKで放映された「松任谷由実 私と荒井由実の50年」という番組の録画を、つい最近観た。

ユーミン50年の歩みを、インタビューを交えて振り返る番組で、興味深く観た。

 

インタビューの中で、ユーミン(松任谷由実)は、荒井由実について、「越えたいとずっと思っていて、越えられないエッセンシャルなもの」と発言していた。

そうなのか、ユーミン自身によって、荒井由実とは越えたくて越えられないものなのか、と印象深く聞いた。「エッセンシャルなもの」という表現も、本人ならではの的確なものなのだろう。つまり、荒井由実とは「原点」だと。

 

この番組を観たのを機に、荒井由実のアルバムを、「ひこうき雲」、「MISSLIM」、「COBALT HOUR」、「14番目の月」と、リリース順に聴いてみた。

 

昔話を先にすると、デビューシングルが1972年、デビューアルバム(ひこうき雲)が1973年だったユーミンを私が知ったのは遅かった。

大学に入って、1975年頃だったと思うが、当時聴いていた「グレープのセイ!ヤング」に「生歌コーナー」というのがあって、そこでさだ(まさし)さんがギターの生歌で「卒業写真」を歌ったのが最初の出会いだったように記憶する。

この素敵な歌は誰が歌っているんだろう?(番組では曲に関する説明がなかった) と思ったが、すぐにはわからず、後日何かの情報で、荒井由実という人の作品だと知った。

この時点で、荒井由実その人を知っていたのか、まったくの初耳だったのか、記憶が定かでない。

一方、大学オケの親友でホルンのKのアパートには、「COBALT HOUR」があった。このアルバムを初めて聴いたのは彼の部屋でのことだったと思う。あのピンクのユーミンのイラストのジャケットも印象深く感じたのを憶えている。収録されている「卒業写真」も当然聴いている。「セイ!ヤング」の件より後のことだったことになる。

1976年春、それまで住んでいた小平の下宿から国立のアパートに引っ越して、大学3年になった私は、初めて自室にステレオセットを持った。それまでは、買ったレコードをオケ仲間のところへ持って行ってかけさせてもらっていたが、自分の部屋でレコードが聴けるようになったのが嬉しくて、レコード集めが加速する。

その初期、まず買った何枚かのレコードの中に、「MISSLIM」と「COBALT HOUR」があった。後者は前記Kのアパートで既に聴いていたが、前者は初めて。

私個人にとって、ユーミンのアルバムとの実質的な出会い、1人でじっくりと聴いて自分の中に流れ込んできた印象の強さとしては、「MISSLIM」だったように思う。

しかし、以後、ユーミンのアルバムを買い集めるまでの没頭には至らず、荒井由実名義で言えば、「ひこうき雲」と「14番目の月」を買ったのは、3年半以上も後、就職2年目の1979年の暮れのことだった。

ユーミンをニューアルバムのリリースとオンタイムで追いかけるようになったのは、1980年の「時のないホテル」からで、そこから、まだ持っていないアルバムもさかのぼって買って聴くようになった。

ライブにも足を運んで没頭したのは、80年代半ばから90年代半ばくらいまで。以後はトレースしなくなった。

 

閑話休題

改めて聴いた、「荒井由実」の4枚。

ユーミン本人が越えられないエッセンシャルなものがある、と言う荒井由実は、やはり「畏るべき才気」にあふれているな、と改めて痛感する。

二十歳になったかならないかの彼女が送り出した作品の数々は、「若書き」とはとても言えないきらめきがある。

特に「ひこうき雲」は、これがデビューアルバムか、と、詞と言い曲と言い、そのバラエティと完成度に、今さらながら驚く。リリースされた1973年当時、私は知らなかったけれど、その衝撃は大きかったのではないだろうか。キャラメル・ママの力も大きいのだろう。

(「さだまさしにおけるグレープ」にも似た構図を感じるところがあるが、グレープはやはり若書きのみずみずしさが魅力であって、完成度の面では、ソロシンガーさだまさしとは異なる)

 

ひこうき雲」のジャケット。

昔からこれを見ると、子供の頃に習っていたピアノの教則本を思い出す。

(Facebookにそう書いたら、あるヴァイオリン奏者の方から「弦楽器の弦の紙袋みたいですね」とのご意見あり。なるほど。正方形だし。ただ、個人的には、LPレコードのジャケットのサイズと教則本の大きさに、イメージのつながりがある)

 

4枚目に聴いた「14番目の月」。夏をイメージさせる曲が多い。「天気雨」、「避暑地の出来事」、「晩夏(ひとりの季節)」。

夏に聴くのにいいアルバムだと、改めて思った。