naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

新国立劇場 ばらの騎士

12日(火)、新国立劇場に「ばらの騎士」を観に行った。

 

このプロダクションの上演は、2017年12月に観ているが、「ばらの騎士」は何度でも観たいオペラだ。今回は4回上演されるが、オケ練や別のコンサートとバッティングして、行ける日が12日しかない。マチネ公演だが、午後半休をとって足を運んだ。

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新国立劇場 2021/2022シーズン オペラ ばらの騎士

日 時 2022年4月12日(火) 13:00開場 14:00開演
会 場 新国立劇場オペラハウス
指 揮 サッシャゲッツェ
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団

 

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新国立劇場の「ばら」は、2007年が初回で今回で5回目。すべてジョナサン・ミラーの演出である。

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私の席は1階12列17番。演奏会ではオペラに限らず2階席派なのだが、珍しく1階を買ってみた。ステージに向かって中央少し下手寄りの良い席だった。
平日の午後にもかかわらず、客席はぎっしり満員。さすが「ばらの騎士」。

 

入場時に、Facebookに投稿したら、大学オケ同期のI君からコメントが入った。来場しているとのこと。幕間に会おう、と打ち合わせる。

 

第1幕は、オックス男爵が訪ねてきた後、登場人物が増えたあたりでどういうわけか眠くなり、何度も落ちてしまった。

 

元帥夫人は、オクタヴィアンとのやりとりの末、彼を下がらせた直後、「キスもせずに帰してしまった!」と一転して悔やむ。
思ってみれば、この後、オクタヴィアンとキスを交わす機会は遂にないのだ。幕開けのベッドで過ごした前の晩が結局最後。

 

1幕の最後は、元帥婦人が煙草に火を点けて吸いながら窓の外を眺める中、幕となる。
前回もこうだったっけ。忘れているところは、この後も多かった。このオペラへのなじみ具合が、「カルメン」や「魔笛」ほどでないこともある。

この終幕の音楽は、非常に美しいが、今回の公演では、甘美さよりも切なさが迫ってくるのを感じた。

 

第2幕以降は眠さも去り、集中できた。

 

第2幕は見応えがあった。続く第3幕ともども、シュトラウスの練達の腕を痛感する。

 

このところあちこちで活躍されている妻屋(秀和)さんのオックス男爵は、さすがと思わせた。妻屋さんは警部役を過去2回演じている。

 

オクタヴィアン。ゾフィーと出会って、互いに一目ぼれするわけだが、ついさっきの第1幕での元帥婦人とのやりとりからいくらも経たぬ間の心変わりは、どうにも哀しい。「フィガロの結婚」におけるケルビーノは、恋にあこがれる少年のほほえましさがあるが、オクタヴィアンはそれとは違う。物語のシリアスさが違うのだ。

 

2幕が終わったところで、ホワイエに出て、I君と合流。ここまでの感想や近況を語り合う。コロナの状況を見つつ、大学オケ同期の仲間でまた遠からず集まろうと話した。

 

第3幕。

 

オックスと変装したオクタヴィアンの会食が、途中から大人数での騒ぎになる。それを鎮める際に、第1幕以来の登場となる元帥夫人が、オックスに対して「物には終わりがあるのです!」と強く言う。この言葉は、彼女が自分とオクタヴィアンの関係に対して言っているのだ。

 

以後の経過、元帥夫人を見ていると、辛いだろうな、と何とも切なくなる(オクタヴィアンとは不倫関係ではあるけれど。それを問題視したらこのオペラ自体が成り立たない)。

 

元帥夫人、オクタヴィアン、ゾフィーの3人が残っての三重唱。ここから最後までは、涙が止まらなかった。三者それぞれ、この時点で、こうしたい、こうありたい、という結論は気持ちとして固まりつつありながら、そこにすんなり収まることができない。3人それぞれの心の中に、そうしたくない、それではいけない、と別の方向へ引っ張る未練や理性が残っている。
そうした不安定な気持ちの推移を、音楽で描き出すシュトラウスの見事さは言うまでもないが、今回の3人の歌手の演技もすばらしかった。

 

モーツァルトへのオマージュと言われるこのオペラだが、登場人物の心理を表現する面において、シュトラウスモーツァルトに充分並んだと言えるのではないかと思う。また、コメディとシリアスの両立の面においても。

 

それにしても、三重唱から終幕まで、何と美しい音楽だろう。この世のものとは思えない、とはこのことだ。

 

最後の最後、小姓は床に落ちたハンカチを拾うのでなく、テーブルの上に残っていたパンか何かを手に取って食べるような動作をして、去って行った。

このオペラのこの幕切れは何ともしゃれていて、いつも楽しみに観ているが、ここでの小姓の演技は、歌もせりふもないものの、とても難しいのだろうと思う。音楽に合わせて、きちんとしたタイミングで動くのは、よほど利口な子役でないと無理ではないか。

ゾフィーのハンカチを、彼女より若い子供が拾って行くこのくだりは、もしかすると、ゾフィーもいずれ元帥夫人と同じ立場に置かれることを暗示しているのだろうか。

 

千秋楽ということもあってか、スタンディングオヴェーション。

 

歌手の中では、やはり妻屋さんのオックスがすばらしかった。そして元帥夫人も圧倒的だったと思う。このオペラの主役はやはり元帥夫人なのだ、と思わせる歌であり演技だった。
その他では、ゾフィーがとてもよかった。この役は「カルメン」で言うミカエラに似たポジションだと思う。
2014年の浦安市民演奏会の「第九」でご一緒している与那城(敬)さんのファーニナルもよかった。

 

ばらの騎士」、今後も何度でも観たい気持ちに変わりはない。できれば別の劇場、別のプロダクションで観てみたいと思う。いずれ近い内にそういう機会があればいいのだが。