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68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

東京二期会オペラ劇場 「タンホイザー」

18日(木)、東京文化会館東京二期会オペラ劇場の「タンホイザー」を観に行った。

 

3日(水)の「トスカ」、9日(火)の「フィガロの結婚」に続き、今月3回目のオペラである。プッチーニモーツァルトワーグナーというラインナップもなかなかいい。

 

東京文化会館での演奏会は久しぶりだ。前回は2019年7月のバーンスタイン「オン・ザ・タウン」。

 

また、「タンホイザー」の実演は、2013年2月の新国立劇場以来だ。

 

上野駅公園口の改札の位置が変わっていてびっくり。

 

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フライヤー。

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プログラム冊子から。

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楽曲解説によると、今回の上演は、第1幕がパリ版、第2幕はドレスデン版を基本とした折衷版とのこと。

 

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私の席は、1階18列35番。珍しく1階席を買ってみた。

 

ステージ両端の花道、ピットの上方に、黒いコンテナハウスみたいなものが設置してある。下手側は、中にハープ2台と打楽器奏者2人分の席。上手側は、第1幕後の休憩時に見に行ったら、数人分の譜面台と椅子が置いてあった。楽器は見当たらず(ここには第2幕の歌合戦の場面で金管奏者が座った)。ピット内でソーシャルディスタンスを確保するためにはみ出た面もあるかもしれない。

 

パリ版なので、序曲は終結せずにバッカナールに続く。

 

官能的なこの場面に、ふと「ばらの騎士」の冒頭を思い出す。愛欲から醒めるというシチュエーションには共通点がある。

 

改めて気がついたが、官能の世界の中心にいるヴェーヌスって、女神なんだね。世俗の人ではなくて。

 

ここを出て行きたいタンホイザーと引き留めたいヴェーヌスのやりとりが、しばらくの間続く。

 

タンホイザーの内面の葛藤は、わかるようでわからない。自由なこの世界、しかも愛欲が満たされるんだったら、このままでいいのに、と世俗的な私などは思ってしまうが、出て行きたいんだね。

 

それに対するヴェーヌスの説得を聞いていると、この女神の気持ちは愛欲の世界ではなくて、これはこれで純愛ではないか、とも思える。少なくとも邪悪な存在というわけではないように感じたりもする(途中から「呪う」とか言い始めるけど)。

 

ともかくこのやりとり、何が論点なのかよくわからない。快楽の反対にあるものが戦いであったり死であったり。救いややすらぎという言葉も出てくる。

 

場面が変わると男声合唱が出てくる。やっぱりワーグナーの場合、男が多いな。改めて思う。

 

この後のタンホイザーとヴォルフラムのやりとりもまた、何だかわからないところがある。

 

自分たちのところに戻って来い、というヴォルフラムの誘いをタンホイザーは何故拒むのか。戻って来い、戻れない、これも何が論点なのか。

 

結局、1時間以上かかるこの第1幕は、前半ではヴェーヌスベルクから出て行く行かない、後半では宮廷に戻る戻らないと、くどくどと延々とやってるだけという気がする。

 

ちょっと眠かった。

 

しかし、そこがワーグナーのオペラとも言える。

 

休憩。
ホワイエに飾られたホールの模型。

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第2幕。

 

エリーザベトのアリアは、あまり明るくない音楽だ。タンホイザーと再会できる嬉しさとかは感じられない。

 

そして、その後のタンホイザーとの二重唱も、互いに再会できて嬉しい、という感じがない。「ラ・トラヴィアータ」の終幕でのヴィオレッタとアルフレートが、そこに至るまでのいきさつなどなかったかのように、手放しで喜び合うのとは対照的だ。

何だか盛り上がりに欠ける感じを受ける。

 

その後、抱き合う2人をヴォルフラムが引き離す行為があったが、あれはどういう意味なんだろう。

 

そして歌合戦。上手側のコンテナハウスに金管部隊が入っての、この場面の光彩陸離たる音楽には一転して引き込まれる。「アイーダ」の凱旋の場面に匹敵する、聴いていてわくわくする音楽だ。

 

ところで、この歌合戦も、話としては何かわかりづらいところもある。ヴォルフラム、ヴァルターと、自分を宮廷に戻し入れてくれた人たちの歌を、タンホイザーは何故ことごどく批判するのだろう。舞台右上方に姿を現したヴェーヌスの影響なのか。いやしかし、タンホイザー自身は、そのヴェーヌスから逃れて来たわけで。

 

次のビーテロルフの歌に対しては、もはや喧嘩腰とさえ言える態度。

 

その後ヴォルフラムが歌う歌は、実は自分がエリーザベトを愛していることをもはや隠さない。しかし、エリーザベトはタンホイザーをかばう姿勢を崩さない。彼女はヴォルフラムの純愛の訴えをどう受け止めたのか、

 

そもそも、この歌合戦でのエリーザベトも理解できないところがある。

 

このオペラが、官能と純愛の対立概念をテーマとしていて、エリーザベトは純愛の方の象徴として存在していると思うのだが、その彼女が、対立する主張の側にいるタンホイザーを何故終始支持するのか。

 

彼の思想がどうあろうとそれを上回る純愛を注ぐ、ということなんだろうか(最後は命を捨てて彼を救済するところまで行くし)。

 

エリーザベトの一声で命を救われたタンホイザーは、反省は示すものの、相手方の主張を受け入れた訳ではなさそうだ。

 

ともかく、二項対立の設定自体はわかりよいのだが、お話の進み方がどうもしっくり入ってこない。

 

ところでこの歌合戦の場面、「マイスタージンガー」を想起する。男ばかりの中に女性が1人というのも共通している。

 

物語についてはあれこれ思うところはあるものの、久しぶりのワーグナーのオペラの音楽自体は終始堪能した。

 

ただ、オケの音に腹にこたえる重さというか、厚みがほしい気はした。ワーグナーなのだから、もっとあふれるような音が聴きたい、と。今回は1階席なのでオケを観ることができなかったが、後刻ネット上で得た情報だと、10型だったらしい。新型コロナウイルスに少し負けたか。

 

ところで、休憩時にふと気がついたが、女性のお客さんが結構多いのに驚いた。ワーグナー好きの女性って、ちょっとイメージしにくいのだが。特にこの作品だし。

 

第3幕。

 

2幕までの色々な疑問はそれとして、ここからはリセットして味わうことができた。ここからはずっと引き込まれる流れになる。

 

エリーザベトの祈り。

夕星の歌。

ローマ語り。

 

先日観た「トスカ」が、主役級の歌手にそれぞれ聴かせどころのアリアを用意したのと同じだ。

 

ローマ語りの冒頭、ホルンのゲシュトプトが鳴るが、マーラーの9番の冒頭をちょっと思い出した。マーラーはここから引用したのか?

 

以後、終幕までは大変見応えがあり、没頭させられた。

 

タンホイザー、結局ヴェーヌスベルクに戻りたいの? ヴォルフラム、前幕であんなことがあったのに、まだそれを引き留めるの? と思ったりもするが、まあいいや。

 

エリーザベトもタンホイザーもあっけなく死んでしまう。オペラの常、ワーグナーの常だが。

 

久しぶりのワーグナーの実演。やっぱりワーグナーはいいなあ、とつくづく思った。

 

歌手の皆さんも熱演だった。

 

来月、新国立劇場で「ワルキューレ」が上演される。新国立劇場のこのプロダクションは、以前に「リング」全曲を観ているが、どうしよう。再度行こうかな。

 

あと、ワーグナーでは、どこかで「トリスタンとイゾルデ」をやってくれないかなと思っている。地方であっても行くのだが。

 

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