2019年から務めてきた、A社(西新宿)の常勤監査役、B社(三軒茶屋)の監査役は、いずれも4年の任期満了で今月退任。
41年間勤務した前の会社と併せ、45年あまりの会社生活から離れることになる。
退任日は、A社については9日(金)、B社については16日(金)。その日に開催される株主総会をもって退任する。
A社の勤務地は西新宿の東京本社だが、株主総会は登記上の本店である岐阜市で行われる。
8日(木)は、午前中東京本社に出社し、午後、名古屋に移動して前泊。
9日は名古屋から岐阜に移動して株主総会に出席し、退任したらそのまま帰宅する、という行動日程としていた。
6月に入ってからは、監査役としての仕事はもはやなく、身辺のかたづけや会社を去る準備で過ごしてきた。
4年間の仕事の資料などは、会社に置いておく場所もないし、さりとて自宅に送って保存する理由もない。すべて処分した。これも、これもと、処分用の箱にポイポイと投げ込んでいると、4年間の仕事を意味のないものとして自分の手で葬り去っていくように感じられて何とも切ない。
私物の類いは、いくつかの段ボール箱に詰めて、自宅と木更津の実家に送ることにした。
そうした搬出作業は、7日(水)までにはほぼ終わっていた。
空っぽになったデスクの上や引き出しの中も掃除した。
7日の晩は、今回退任する代表取締役、取締役、監査役、計4人のために慰労懇親会を開催してもらい、楽しい時間を過ごすことができた。
さて、東京本社への最終の出社となる8日。
いつもの時間に出社した後、頃合いをみはからって、社内の挨拶にまわった。
その後、最後の撤収作業として、PCの整理をした。ハードディスクに保存していた個人の業務データの消去。デスクトップ画面の整理。ブラウザのブックマークの削除。ごみ箱(PCの)も空にした。
さあ、いよいよもうやることがない。
早めに昼食に出た。食べ納めは富城屋に行くことは決めていたが、その前に、会社周辺の写真を撮ってまわった。
西新宿にはもちろん千葉から出かけてこられるが、仕事をするためにここに来ることはないので。
熊野神社前交差点。夏になったら新宿中央公園の蝉時雨を聞きにこようか。
12時半頃、名古屋への移動のために会社を後にした。この東京本社に来ることはもうないだろう。
翌日の株主総会が岐阜なのに、名古屋に前泊することにしたのには理由がある。
監査役として一緒に仕事をしたS氏と2年ぶりに会うためである。
4年間の任期、常勤監査役は以下の体制で過ごした。
2019年度 S氏、naokichi
2020年度 S氏、T氏(新任)、naokichi
2021年度 T氏、naokichi
2022年度 T氏、naokichi
(S氏、T氏はA社生え抜きの常勤監査役、私は親会社から移籍した常勤監査役である。この他に、親会社から非常勤監査役が1人)
最初の2年間一緒に仕事をしたS氏は、2021年6月の株主総会で退任された。春日井市在住である。
今回私が退任するにあたって、S氏とは是非もう一度会って話をしたいと思ったので、連絡をとり、都合が合えば名古屋で会いませんか、と提案したところ、賛同が得られた。せっかくなので、T氏も交えて3人で、ということにしたのだった。
名古屋到着後、まずホテルにチェックインしてから、予約しておいた店の場所を確認。
両氏との待ち合わせまで少し時間があったので、地下街エスカのコメダ珈琲店で時間調整した。
新幹線改札前の銀時計で両氏と落ち合って、店へ。
T氏もS氏とは2年ぶりのようで、3人、再会を喜び、あれこれの話題に花が咲いた。
3時間ほど飲んだが、とても楽しい時間だった。
名古屋駅まで一緒に行って、また機会を見つけて会いましょう、と散会した。
さて、A社最後の日、9日。
名古屋から岐阜へ移動して、株主総会に出席した。
株主総会では、T氏が監査の報告をしたが、私はしゃべる場がない。
また、総会進行においては、どんな総会でも大抵そうだが、退任する取締役、監査役についてふれられたり紹介されることもまったくない。じっと座っているだけ。
15分で株主総会は無事閉会し、何というのか、これで退任なんだ、ということを自他ともに感じる場面、テンションがないまま、私は、つまり、A社の人でなくなった。
総会で選任された取締役、非改選の監査役が取締役会に入った。
その間、手持ちぶさたなので、表に出て岐阜の事務所まわりの写真を撮った。
新経営陣が取締役会を終え、集合記念写真を撮った後、会議室に集合して昼食となった。
午後から別途の行事がある者も多いため、アルコールはなし。
三三五五、解散となった。
用のない者は、何台かの車に分乗して岐阜駅に移動して帰途に就くことになった。
たまたまだが、流れの中でT氏と私の2人で社有の車に乗る形になった。
これはちょっと感慨深いものがあった。
これまで、この岐阜の事務所にも2人で何度も監査に来た。その日の監査を終えて、この車で岐阜駅に送ってもらったことがたびたびあった。
最後の最後、同じシチュエーションになったことが、何か貴重に感じられた。
いつもなら、その日の監査のこと、翌日以降の監査のことなどを車内で話したものだが、ここに至って、仕事の話はしようがない。
会社を辞めた後、どうやって生活パターンを構築していこうか、などのとりとめのない雑談をする内に、岐阜駅に着いた。
単身元に帰宅するT氏とは方向が違うので、改札前で別れた。
これもまた過去にはしばしばあったことだが、これまでなら、お疲れさまでした、ではまた月曜日に、などという別れ方だったのが、いよいよもう正真正銘最後なのだ。また会社で会うことはないのだ。
また是非会いましょう、と言い合うのがせいいっぱいな感じだった。
岐阜駅のホームに上がって北口方面を眺める。
金色の織田信長像。しばしば泊まったホテルも見える。
何度も来たなあ、岐阜。
とりあえずこれが最後か。
旅行ではまた来ることがあるだろう。そう言えば、在任中、とうとう岐阜城に一度も行けなかったし。
41年間勤務した前の会社と違い、僅か4年ばかり勤めただけのA社を離れるにあたり、どれほどの感慨があるものか、事前には想像がつかなかった。
しかし、前日の東京での挨拶まわりあたりから、この岐阜での半日足らずを過ごしてきて、たとえ4年間であっても、また監査役としての接触という限定された関係ではあっても、この間に知り合い、やりとりをしてきた人たちと別れることは、やはりさみしいことだ、との実感を強く持った。
3年間同じ仕事を共にしたT氏については、なおさらである。
お世話になりました。その一言に尽きる。
さあ、会社生活、残るはB社での1週間。こっちも仕事はもうないけどね。