X(旧Twitter)での茂木健一郎氏の発言が物議を醸しているようだ。
ジャニーズにだまされる人は、芸術の教養が根本的に欠けている。クラシックからロック、ポピュラーまで、音楽のほんものに触れていれば、SMAPや嵐には騙されない。ジャニーズを聴くんだったら、モーツァルトやビートルズ、ボブ・マーリーを聴いた方がはるかに深く世界に通じる教養が身につく。
うーん、何だかなあ。
「芸術の教養」。
「音楽のほんもの」。
そういうものがあるのか、あるいは必要なのか、理解しきれないところがある。
ただ、そうしたものがあるとしても、それぞれの人がそれぞれに持つものではないか。
個々人の価値観の問題。
このツイート(ポスト?)の違和感は、茂木氏個人にとっての「芸術の教養」「音楽のほんもの」(それが何であろうとご自由だが)を、読み手(自分以外の人)にあてはめて論じようとしているように見えるところにある。
まあともかく、SMAPや嵐に「騙される」という表現は、誠に罪深いと感じる。
茂木氏はこのツイートのすぐ後に関連の主張をされているので、一応引用しておく。
その昔、あるFM番組に呼ばれてリクエスト曲で「夜空ノムコウ」を頼んだら、音楽好きのプロデューサーに「SMAPじゃなくてスガシカオだったらいいんですけどね」と言われた。本当に音楽を愛する人は、そのような矜持を持っている。ただ、ジャニーズ砂漠の中で、そのような声が表に出なかった。
「本当に音楽を愛する人」。
「世界に一つだけの花」だって、SMAPの楽曲じゃなくて、槇原敬之さんの楽曲だ。槇原敬之さんの生き方、人間性があってこそあの歌の詞、メロディが生きてくるわけで、SMAPが歌っても、それは偽物でしかない。
「偽物」はひどいよなあ。
SMAPの楽曲であることを否定したいようだが、理由がわからない。
ジャニーズ事務所のグループだから?
ぼくがここで書いているようなことは、日本の風土の中ではびっくりする人も多いかもしれないけど、SMAPの楽曲はスガシカオとか槇原敬之のもので、彼らが歌った方がはるかにいい、SMAPの歌唱は偽物だ、というくらいのことは、批評的言説としてはごく当たり前で、今まで日本にはなかっただけのこと。
ここでも「偽物」。
「偽物の歌唱」というのがそもそも理解困難。
少なくとも、スガシカオや槇原敬之自身が、何故SMAP(偽物)に楽曲を提供し、彼らの歌唱についてどう思っているのか、という視点は必要だろう。
ついでにどうでもいい話ではあるが、茂木氏のツイートに寄せられたコメントの中で、今回偽物と断じているSMAPについて、茂木氏自身が7年前、こんなツイートをしている、との指摘が。