昨19日(木)、朝、N社(京橋)の人事部からメールが届いたのに気づいた。
元役員の訃報で、メールタイトルに亡くなった方の名前が表示されていたので、開く前に誰かがわかった。
(OB会の幹事を務めているので、会員の訃報は随時メールで通知される)
今回の訃報はN社の元専務取締役のS氏のものだった。
S氏とはN社の様々な人の中でも格別な関わりがあった。
1978年4月にN社に入社して、新入社員研修が終わって最初の配属先が本社経理部の財務課だったのだが、その時の課長がS氏だった。
財務課には3年在籍したが、様々な点で教えや影響を受けた。私の仕事人生の基礎はこの3年間で作られたと思っている。
財務課を離れた後も、仕事のつながりは続いた。
1992年、労働組合の本部専従役員にならないかとの話があった時、S氏に相談した。S氏はつまり会社側の人間であり、本部に入れば春闘の団交や労使協議などでも対峙する相手になることはわかっていたが、入社から世話になっていたこともあり、相談したのだった。
その後、本部専従を6年間務めることになり、想定通り団交のテーブルで向かい合うこともあった。
労組から会社に復職した後、人事部勤務となった時期があり、この時はS氏が人事部の担当役員だったので、入社当時以来2回目の上司と部下の関係になった。
その後、S氏は子会社であるA社(西新宿)の社長に転じ、会長も務めて会社生活から退いた。
時を経て、私もそのA社の監査役として仕事をすることになるが、ここにも縁を感ずるところだ。
仕事とは別に、S氏が経理部財務課長を務めていた時期の仲間たちのつながりは、今日まで続いてきた。これは、私が経験したその後の職場においてはなかったことだ。
S氏の号令あれば集まって飲むことは定例化していた。
「財無会」と称していて、多くは私が幹事役を命ぜられてきた。
S氏は17歳年上。
85歳での逝去自体は、まあそうか、と受け止めるのが普通だろうが、昨日の朝のメールを見て驚きを禁じ得なかったのは、8月2日(水)に集まって飲んだばかりだったからだ。
コロナ禍の期間はさすがにこの「財無会」は中断せざるを得なかったが、久しぶりに集まろう、という話が持ち上がったのは今年の7月だったと思う。今回は先輩のK氏と私が幹事となり、手分けして仲間に連絡をとった。
8月2日はS氏始め総勢6人が西新宿のライオンに集まり、4年ぶりの再会を懐かしみつつ楽しく過ごした。
その時のS氏は、以前と変わらず元気な様子だったので、当然にまた半年、1年後にはこのような会合を、と皆思いながら解散したのだった。
2ヶ月ちょっと前に会っているだけに、驚きもし衝撃も受けた次第。
財無会メンバーに限らず、アドレスを知っている会社関係の人たちに、S氏の訃報を知らせた。
前記K氏と、同じ財無会のメンバーでもあるM氏とは、電話でも話した。K氏もM氏も私と同じで、この間会ったばかりで、元気そうだったのに、との話に終始した。
自分に大きな影響を与えた存在。いささか重い。様々な思いがある。
明日21日(土)には葬儀に赴く。