naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

突然の訃報

明日で今年も仕事納めという27日(木)の午後、社内のイントラネットに掲載された突然の訃報。

9年先輩のY氏が、27日、亡くなったという。

63歳。定年は迎えたが、引き続き関係会社に勤務しておられ、8月の終わりにその会社に用があって訪れた時、顔を見たのが、今から思えば最後になった。

訃報に接した私にとっては、まったく唐突な感じがあったが、その後聞いたところでは、既に何ヶ月か入院されていたのだそうだ。
全然知らなかった。

Y氏とは、もう四半世紀以上前、私が今いる品川の支店に最初に勤務していた時、労働組合支部活動を一緒にしていたことがある。
私が初めてここの支部の執行委員になった時の委員長が、Y氏であった。
当時、支部の会議は上野で開催していたのだが、会議後は毎回Y氏始め執行部の者たちで飲み、遅くなって、みんなで上野のホテルに泊まることがしばしばだったのを思い出す。
Y氏と一緒に千葉の姉ヶ崎にオルグに行った時のこともよく覚えている。

この支部執行部で書記長を務めていたM氏の、組合活動への打ち込みぶりに、私は大きく影響を受けた。
Y氏とそのM氏に口説かれて、M氏の後任の書記長になり、最終的には、本部の専従役員として6年も仕事をするに至るのだが、私が労働組合の活動にそこまで深入りしたきっかけは、Y氏の執行部に入ったことにある。
その意味で、私の会社人生を大きく変えたのが、Y氏でありM氏だった。

昨年末、80年代前半のその時期に、支部の役員をやっていた者たちで久しぶりに集まることを、私が思い立ち、忘年会を呼びかけた。
8人が集まり、往年よく飲んでいた品川駅港南口の居酒屋で、昔話に花を咲かせたのだが、その時に、Y氏もM氏も出席された。
Y氏とゆっくり飲んで話したのは、それが最後になった。

  ※その時の過去記事
     http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/44602731.html

あれから僅か1年。
何年か前に大病をされたことは聞いていたが、立ち直って仕事もされていたし、その忘年会の時も、昔と変わらない元気そのものの姿だったので、やはり突然もたらされた訃報には衝撃が大きい。

当時の支部役員で、既に会社を去られた方も少なくないので、10人ほどに急いで電話をして知らせた。

私は、28日(金)、会社の仕事納めが終わったら、通夜に参列する。

先週末、過去最速で投函した年賀状の中には、Y氏宛のものも入っていた。
いつになく早く年賀状を出したことで、元日には主なきY氏の家に届いてしまうことになった。
闘病のことをまったく知らなかったとは言え、何とも言えない思いだ。