naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

バッハ・コレギウム・ジャパン「聖夜のメサイア」

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  ホールロビーのクリスマスツリー。白い筒状のデコレーションは楽譜。



24日、銀座をぶらぶらした後、新橋から銀座線に乗って溜池山王へ移動。
東京全日空ホテルを通ってサントリーホールへ。

ここのホテルにも若いカップルがたくさん。
そんな俗な世界からサントリーホールに入って聴いたのは、ヘンデルの「メサイア」である。
鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏。

妻が伴奏の仕事をしている合唱団のメンバーが、近く地元で「メサイア」を歌われるので、この演奏会のチケットを買うことになり、それなら私もいっぺん「メサイア」という曲を生で聴いてみようかと、ご一緒させてもらうことにしたのだ。

前日、カルテット練の後の飲み会で、ファーストヴァイオリンのHさんが、「メサイア」の話をされた。
ご自分のこれまでの音楽人生の中で、この曲について特に鮮烈な体験をされたと、熱っぽく語っておられた。

私自身は、クラシックに関する好みは、古典派からロマン派が中心で、バッハ、ヘンデル、それ以前のバロックなどは、基本的な守備範囲からややはずれる。
今回の「メサイア」にしても、LPレコードの時代は、リヒターのロンドン・フィル盤を一応持ってはいたものの、まともに全曲を聴いたことはなかった。
この演奏会に行くことになったので、クレンペラー盤を買って、時折流して耳には入れていたが、その程度のつきあい方であった。
好きでたまらない曲を聴きにきたというのでなく、まあ知的興味からである。

しかし。
誠にすばらしい演奏会であった。

予想はしていたが、編成は小さい。
弦は、ヴァイオリンが3人ずつ、ヴィオラが2人、チェロが2人、コントラバスが1人。
合唱も、ソプラノとアルトが5人ずつ、テノールとバスが4人ずつ、計18人という少人数である。
しかし、この合唱の声量はどういうことだろう。
決してわめいたりがなったりしている訳ではないのだが、力強い声がこちらに届いてくる。
50~60人はいるような合唱なのである。PAで補強でもしているのではないかと思ったくらいだ。
おそらく全員が20代と思われる若さだが、それだけが理由ではあるまい。
何かのトレーニング、リハーサル過程での秘密があるのだろう。

オケも適度な音量で、コーラスとのバランスが大変心地よい。
開演前は、この少人数でサントリーホールの大ホールでは合わないのではないかなどと思っていたのだが、そんなことは全然なかった。
大きいホールのステージ上に箱庭があるというイメージではまったくなく、大きすぎず小さくもない、必要なサイズの音楽空間がそこにあった。
コンサートホールにいながら、教会にいるような気持ちになった。

私がクラシックを聴き始めた70年代、「メサイア」のレコードといえば、ボールトやビーチャム、最近買ったクレンペラーなどが名盤と言われた。いずれも、オケ合唱とも大きな編成の大ぶりな演奏だったと思う(未聴だが、グーセンス版を使ったビーチャム盤などは特にハデなものだったのだろう)。
実演もそういう路線だったのではないだろうか。
その後、80年代になって時代楽器による演奏が台頭し、今では主流となっているようだ。

バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏は、もちろんそちらのスタイルのものだが、今回の演奏を聴いてみて、これは非常に説得力のある、完成されたスタイルのものと感じた。

日頃聴くことの少ない、この時代の音楽であり、「メサイア」にしても、実演を聴くのは初めてなのだが、やはり、レコードあるいはテレビなどを通じて聴くのでなく、こうして生の演奏に接することは、聴くことに集中する度合いが違うので、音楽を深く味わえる。色々発見もある。
どのような音楽であれ、実演の場で聴くことの大切さを、今回は改めて痛感した。

47のナンバー全部を聴いた、休憩含めて3時間は、やはり短くはなかったが、美しい、あるいは魅力のある音楽がたくさんあることを知った。
特に、終末のアーメンコーラスは、まったく圧巻としかいいようがなかった。曲そのものの力、演奏の持つ力、両方なのだろうが、本当に圧倒される思いであった。

ただ、これが今後自分にとっての「常食」になるかどうか、というとちょっと別ではある。
やっぱり「第九」とか、宗教曲であればヴェルディのレクイエムあたりの方が、私にはいいな、と思える。
そうは言っても、自分の音楽経験をひろげる意味では、今後機会があれば、「マタイ受難曲」やロ短調ミサなどは、是非実演で一度聴いてみたいものだと思う。

時代楽器の実演というのも、今回初めて聴いた。
レコードでは、コレギウム・アウレウム合奏団の昔から、色々聴いている。
時代楽器の音に一貫して感じるのは、味の薄さ、うるおいのなさである。
シルクでなく木綿の手ぬぐいの手ざわり。
今回のオケを聴いて、これはこれで存在意義のあるものだとは思った。
清潔感はあるし、音がクリアだ。
しかし、個人的な好みとすれば、やはり現代楽器の方に魅力を感じる。

時代楽器は、女性で言えばスッピンの顔だ。
スッピンで、Tシャツにジーンズという、気取らない格好でいる女性。
しかし一方で、その同じ女性が、きれいに化粧をして、ドレスを身にまとったら、それも別の美しさがある。
私としては、現代楽器の響きの方に魅力を感じる。
演奏されている「メサイア」の魅力(その女性の魅力)自体が変わる訳ではない。ただ、装い方(響き)についての好みとしてである。

ところで、「メサイア」の実演を初めて聴くにあたって、興味津々だったのが、「ハレルヤコーラス」で起立する人がどれくらいいるのかということだった。
もちろん、自分自身は起立する気はなかった。
結果。
見えたところでは、3人ばかりが起立していた。

プログラムに記載されていたコラムによると、くだんのエピソードの主、国王ジョージ2世がロンドン初演の際に、ここで起立したのは、感動のあまりでなく、単に退席したいから立っただけだという説があるのだそうだ。その時、他の聴衆も国王が退席するなら座ったままでいる訳にはいかないので立ち上がったということらしい。
となると、250年以上もたって、ロンドンから遠く離れたこの東京で、律儀に立ち上がるというのも、間抜けな話とも思える。
今回立った少なくとも3人の方は、プログラムのこのコラムを読んでいただろうか。

この「聖夜のメサイア」、毎年行われているようで、プログラムには、来年の公演の案内が早々とはさみこまれていた。
来年はモーツァルト版による演奏だそうだ。