naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

読売日本交響楽団 第607回定期演奏会

6日(火)、読売日本交響楽団定期演奏会を聴きに、サントリーホールへ出かけた。

 

開演前、蕎麦を食べようと思ってアークヒルズの水内庵に行ってみたら、店がない。昨年末で閉店したとの貼り紙がある。知らなかった。

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一つ上のフロアのつじ半で海鮮丼を食べた。

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読売日本交響楽団 第607回定期演奏会

日 時 2021年4月6日(火) 18:15開場 19:00開演
会 場 サントリーホール
指 揮 カーチュン・ウォン
ヴァイオリン 諏訪内 晶子
管弦楽 読売日本交響楽団
曲 目 細川俊夫 冥想-3月11日の津波の犠牲者に捧げる-
    デュティユー ヴァイオリン協奏曲「夢の樹」
    マーラー 交響詩「葬礼」
    マーラー 交響曲第10番嬰へ長調からアダージョ

 

この演奏会のことは、新聞広告で知った。我が諏訪ちゃん、諏訪内晶子さんの演奏が聴けることも魅力だったが、それ以上に注目したのが、マーラー10番のアダージョである。

 

3月6日(土)に、オーケストラ・モデルネ・東京に参加して弾いたこのアダージョを、プロオケの実演で聴けるチャンス。さっそくチケットを買い求めた。


プログラム冊子から。

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私の席は、2階LB3列1番。

ステージを下手側ほぼ真横から見るアングルである。打楽器やピアノなどは見えない。

 

弦は、下手側の椅子が全部は見えないが、推測では14型。ヴィオラは中配置。譜面台は1人1台。入場時はマスク着用で、着席すると全員外した。

 

最初は、細川俊夫氏の作品。氏の音楽については、音源は、先日ECMからリリースされたばかりの「月夜の蓮」など少しだけ持っているが、日常的に聴いているわけではないので、ほとんど知らないも同然である。尹伊桑の弟子とのことだが、尹伊桑の音楽も聴いたことがないので、系列的なこともわからない。

 

初めて聴く「冥想」という曲は、月並みだが、「ゲンダイオンガク」というイメージの音。ゆったりしたテンポの曲で、弦セクションの各トップにソロが多い。

 

厳しく激しい音楽という印象を受けた。常に緊張感がみなぎっており、オケの演奏も大変集中力の高い、情熱的なものだと感じた。

 

曲が終わって指揮者が客席をうかがうと、1階席後方に細川氏が来場していて立ち上がった。

 

2曲目は、デュティユーのヴァイオリン・コンチェルト。

ステージ転換で、ソリストの位置に譜面台が置かれた。

 

デュティユーの音楽も、細川俊夫氏同様で、ほとんどなじみがない。

 

このコンチェルトは初めて聴いた。

 

直前に聴いた細川氏の作品に比べると、きらびやかで色彩豊かな音楽という印象。愉しさも感じられた。

ツィンバロンが使われているが、この楽器の生の音を聴いたのはもしかすると初めてかもしれない。

 

4楽章構成で、楽章と楽章の間にオケだけの「間奏曲」が3回はさまるが、切れ目は一切ない。

プログラム冊子には、約26分の作品と書かれていた。私の席からだと、ソリストとファースト・ヴァイオリンの譜面が見える。そろそろ終わるのかな、と思って見ていると、ページがめくられるたびに、まだ見開きの譜面が出てきて、あ、まだあるんだ、という繰り返しだった。

 

久しぶりに諏訪内さんのヴァイオリンが聴けてよかった。

ソリストアンコールはなし。

 

休憩は最近珍しい15分。

 

後半はマーラー。「葬礼」と10番のアダージョの2曲は、間を置かずに演奏される、と事前に場内アナウンスでインフォメーションされていた。

3月のオーケストラ・モデルネ・東京の演奏会でも、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」序曲(オペラ仕様)の後、アタッカでアダージョを演奏したのだったが、今回の読響もそれに似た方式。このアダージョは、音楽的に何かそういう要素を持っているんだろうか。

 

休憩後のマーラーは、指揮者は暗譜。譜面台は撤収された。

 

「葬礼」が始まると、聴き慣れたマーラーの音楽に、やはりちょっとほっとする。

 

この「葬礼」は、独立した交響詩だが、2番のシンフォニーの1楽章とほとんど同じ音楽だ。途中少し異なる音楽になる場面もあるが、基本的には同じ。

小説に喩えれば、途中の経過ではさまれるエピソードがちょっと違ったり、登場人物のせりふがちょっと違ったりするが、物語のストーリーは同じ、というような感じか。別の作品ではなく、ヴァージョン違いの扱いが妥当な程度の相違だ。

 

曲の終わりもシンフォニー同様、弱いCのピツィカート。そしてそのまま指揮棒が動いて、アダージョヴィオラソリに移った。

 

諏訪内さんもさることながら、この日の目的はこのアダージョ。大変苦心したこの曲を、プロの演奏で聴いてみたかった。

 

最初から最後まで、ずっとヴィオラばかり聴いていた。ヴィオラは5プルト(我々の演奏は3.5プルトだった)。あの一番難しかった3回目のソリも一糸乱れず奏でられるのに感嘆した。当たり前のことだが。

 

それにしても、このアダージョはいい曲だと改めて思った。

 

個人的には、LPレコード時代からいくつかの音源は持っていたものの、ほとんど聴くことがなくて、曲になじんだのは今回のオーケストラ・モデルネ・東京で弾くことになってからだ。実質的には今年に入ってから曲を知ったというのが実態。

 

本番を一つ踏んだ上でこうして実演を聴くと、今まで知らなかったこの曲が、とてもいい曲だと感じられる。

作曲時期が近いこともあり、9番の終楽章と同工異曲というとらえ方をしてしまいがちだが、ここにはまた別の魅力がある。

(聴きながら、もう1回弾いてみたいなあ、などと思ったが、それはやめておいた方が身のためかもしれない(笑))

 

指揮者が息を吸う音が、何度かちょっと気になった。

 

曲が終わって管の奏者の後、ヴィオラパートも指揮者に促されて立った。

 

アンコール曲はなし。このアダージョが最後だとそうなるかもしれない。

 

楽員がステージからはけ始めてからも拍手は止まず、指揮者が一人でステージに出てくる形になった。スタンディングオヴェーション。

 

定期演奏会としては一般受けのしないプログラムだったが、充実感、満足感を得て会場を後にした。

 

<追 記>

12日(月)、サントリーホール公式Twitter