naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

感心→感動→感激→感謝

人間は感動する。

感動は、色々なものを通じて得られるが、音楽も人を感動に導いてくれる。

何のために音楽を聴くのかと言えば、やはり感動したいからだろうし、プロは別にして、アマチュアの場合、演奏することも、感動したいからかもしれない。

ずいぶん前に、音楽を聴いて心をゆさぶられる度合いについて、考えたことがある。

冷静に、あるいは偉そうに聴いている時は、「感心」している。

めったに出会えぬ生演奏やレコードの場合は、その演奏や、あるいは作品に「感動」する。
それよりも心ゆさぶられた時は、「感激」する。

感動と感激とどっちを上位に置くかは難しいところだ。
私の経験だと、生まれて初めてオペラを聴いた(観た)時は、その作品が何であるかとか、演奏のよしあしとか以前に、序曲が終わって幕が開いて、出演者が動いているのを見ただけで、全身にふるえが走った。
(ちなみに、ウィーン国立歌劇場の来日公演、グシュルバウアー指揮する「後宮からの誘拐」であった)
あるいは、初めてユーミンのライブに行った時は、何の曲を歌ってくれるだろうかなどという以前に、目の前に「生ユーミン」がいるということだけで感激した。
やはり、心ゆさぶられ具合からすると、感動の方がまだ冷静で、感激の方が上かなと、私の場合は思う。

しかし、そのさらに上に、「感謝」というのがあるのだ。
これを強く感じさせられたのは、81年、26歳の時に、二期会の「マイスタージンガー」を観た時だった。初めてこの楽劇の生演奏に行くということで、気合いが入っていた私は、直前何日か、会社から帰ると、独身寮の部屋で、カラヤンの全曲盤を繰り返し聴いて予習した上で臨んだ。
二期会の演奏は素晴らしいもので、長い全曲を聴いてきた末、終幕の最後の大合唱が終わって、サッと幕が下りてきた時は、全身の血が逆流するようだった。

大感激に、熱に浮かされるようにして帰る道々、これは、感動とか感激とかより、もう「生きててよかった。こんな素晴らしい演奏を聴かせてもらってありがとう。音楽というものがあってありがとう。ワーグナーありがとう」という世界だ、と思ったのだ。

ということで、以来、私の中では、
  感心→感動→感激→感謝
の図式ができあがった。

今も色々なレコードや演奏会を聴いているが、歳をとってスレてきたのか、若い頃のように、感動することは少なくなってきたような気がする。
まあ、音楽に限らず万事そういうところがあるのだが、そんなことは言わず、何とかこれからも、感激、感謝レベルの体験をしたいものだと思う。