naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

地下鉄サリン事件から11年

95年、平成7年という年は、私個人にとっては、浦安オケに入団した点で、人生の歴史に残る年だが、社会的には、1月17日の阪神淡路大震災、そして、今日、3月20日に発生した地下鉄サリン事件で、歴史に刻まれる年だ。

あの日のことは今でも忘れられない。

朝の通勤時間帯をねらったテロ。
私は、その日もいつものように京葉線八丁堀駅で下りた。8時半頃だったと思う。
八丁堀駅は、地下鉄の日比谷線と接続している。
ホームからエスカレーターで上がって、改札を抜けようとした時に、
「ただいま、日比谷線は事故のため運転を見合わせております」
というアナウンスが流れた。

この時点では、まだ「事故」と言っていたのだ。
だから、私も、よくある人身事故か何かかと思いながら、気にも止めなかった。
地上に上がると新大橋通り
今から思うと、この通りの築地方向の遠くに、消防車が見えていた。
しかし、そのまま出社したのだった。

出社してから、上空を飛ぶヘリの爆音がやかましくなった。
その内、何か大きな事件があったらしい、という話が飛び込み、事務所のテレビをつけて、だんだんその様子を知るに至ったのだった。

幸い、社内に被害に遭った者はいなかった。

しかし、事件の内容は、やはり心を震撼させる恐ろしいものだったから、それから後、しばらくの間は、電車に乗っても、網棚に何か置いてあるのではないか、座席の下に変なものがあるのではないか、車内に不審な人間はいないか、と、気が休まらなかった。

数日した休日に、銀座に出かけたのだが、4丁目の交差点を歩いていた時に、上空をヘリが飛んだ。
この時も、あのヘリからサリンが撒かれるのではないか、と、真剣におびえたものだった。

実際に被害に遭っていなくてもこうなのだから、現実に自分や家族が被害を受けたという人にとっては、本当に恐怖の日々だっただろうと思う。

あれから11年。
裁判はまだ続いている。それも、核心の松本智津夫被告は、何も語っていない。
11年もの時間がたったということより、裁判に決着がつかず、この犯罪の核心がいまだに明らかにならないことに驚く。

「人の心の恐ろしさ」・・・。