naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

ほんの数年の無念

高校の時、クラシック音楽を聴き始めて、かなりしばらくの間、フルトヴェングラーのレコードばかり聴き、傾倒していたことがある。

フルトヴェングラーは、54年に没したが、レコード録音という点では、これは非常に重要な話で、もう2、3年もすればステレオ録音が普通になるという時期である。

フルトヴェングラーのレコードはすべてモノーラル録音だし、その多くが劣悪なライブ録音だ。
ブルーノ・ワルターは、62年まで生きたおかげで、コロンビア交響楽団を指揮して、多くのステレオ録音を残した。
この違いは、後年の今、レコードで彼ら往年の巨匠の演奏を楽しもうとする我々の立場から見ると非常に大きい。

フルトヴェングラーは68歳で亡くなった。決して極度に早死にだったわけではないが、それでも、ワルターと同じ62年まで生きてくれたとすれば、76歳。
そうすれば、ワルターと同じように良質のステレオ録音で、フルトヴェングラーの芸術を、今に至るまでもっともっと充分に楽しめていたはずだ。

人は生まれる時代を選べないし、寿命は天命だ。
しかし、フルトヴェングラーが、もう何年か長生きしてくれていたら。

無念というしかない。

何故こんなことを改めて思ったかというと、それには訳がある。

昨日今日と、先日の浦安での本番の録画映像をDVDで見ているのだが、当然ながらステレオ録音だ。
今の時代、小さな家庭用のホームビデオで、専門家でない一個人が収録したライブ映像でさえ、良質のステレオ音声で楽しめる。

我々のような市民オーケストラが演奏するショスタコーヴィチが、これくらいの音で聴けるのだ、と思った時、不滅の価値を持つフルトヴェングラーの芸術が、モノーラルの不備な録音でしか鑑賞できない現実を、改めて無念に感じたのだった。