桐生の事務所を後にして、現地の者の車で、高崎駅に向かっていた時のこと。
沿道の看板で、「諏訪内」という文字が目に入った。
えっ・・・、と思いながらよく見ると、「諏訪内科医院」という看板だった。
えっ・・・、と思いながらよく見ると、「諏訪内科医院」という看板だった。
「諏訪内」までで切って読んでしまう、これは明らかに、すわちゃん、いや諏訪内晶子ファンの性(さが)だ。
こういうことは時々ある。
新聞でテレビの番組欄を見ていて、「私はだまされた」なんて文章が時たまあるが、これも、さだまさしファンとしては、「だまさ」のひらがな3文字の並びだけで、ハッとしてしまったりするのだ。
新聞でテレビの番組欄を見ていて、「私はだまされた」なんて文章が時たまあるが、これも、さだまさしファンとしては、「だまさ」のひらがな3文字の並びだけで、ハッとしてしまったりするのだ。
以下は、その最たるもので、今でも自分で恥ずかしくなるエピソードだが、これはもう30年以上も前のこと。
そのさださんが、グレープを解散したのが、76年4月。
たぶん、それはその何ヶ月か後のことだったと思う。
たぶん、それはその何ヶ月か後のことだったと思う。
母も妹もグレープファン(というか、私は母と妹の影響でグレープファンになった)なので、これは知らせてやらねばなるまい、と、すぐさま実家へ電話した。
電話に出た母に息せき切った感じで伝えた。
「今日の新聞のテレビ欄を見てみな、グレープが出るよっ!」
「今日の新聞のテレビ欄を見てみな、グレープが出るよっ!」
ややあって、母が言った。
「あんた、これはクレープだよ」
「あんた、これはクレープだよ」
・・・というかですね、告白してしまえば、大学3年生の私は、その時まで、「クレープ」というものを知らなかったのだ(爆)。
上のように母に言われて、「クレープって何?」と、聞き返したのですよ。