84年2月14日、「笑っていいとも」のテレフォン・ショッキングである。
(今の若い人は知らないだろうけど、今の「そうですね!」の代わりに、「世界に広げよう、友だちの」「輪ッッッ!」ってやってたんだよ)
(今の若い人は知らないだろうけど、今の「そうですね!」の代わりに、「世界に広げよう、友だちの」「輪ッッッ!」ってやってたんだよ)
私は、当時寝泊まりしていた、千葉の現場事務所の2階宿舎の自室で観た。
この時のタモリさんの狼狽ぶりは、今でもおぼえている。
当時、タモリさんは、小田さんや、さだ(まさし)さんの音楽を蛇蝎のごとく嫌っていた。さんまさんとしては、シャレというか、敢えて小田さんを呼ぶのが面白い、という気持ちだったのだろう。
タモリさんが制止するのをふりきって、さんまさんが電話。その後、電話口に小田さん本人が出た。
タモリ 「明日、なんですが・・・、お忙しいですよね」
小田 「いいですよ」
ということで、このツーショットが実現した。
そんな機会はないだろうか。
ちなみに、小田さんが紹介したのは、星野仙一さんだった。
それから、84年2月というと、オフコースから鈴木(康博)さんが脱退し、ファンの立場では、以後の活動がどうなるか、わからない状態の時期だった。
トークの中で、アルバム制作中との話が出ている。6月に発売された、「The Best Year of My Life」のことだ。既に、4人での活動再開に向けて動いていたわけだ。