昨日、今日と、ディーリアスのヴァイオリン・ソナタ集を聴いた。
聴いて、とても興味深く感じたことがある。まったく個人的な感覚の部分なのだが。
私は、ディーリアスのヴァイオリン・ソナタの存在は知ってはいたものの、聴くのは初めてだった。
で、聴いて思ったのが、「これ、ディーリアス?」。
興味深く感じたのはここだ。
どういうことかと言うと・・・。
ディーリアスとの出会いは、学生時代にさかのぼる。
3年生の時、大学オケで「楽園への道」を演奏した。36年前のことになる。
(当時は「デリアス」と言っていた)
その年の暮れに「夏の歌」も演奏した。
3年生の時、大学オケで「楽園への道」を演奏した。36年前のことになる。
(当時は「デリアス」と言っていた)
その年の暮れに「夏の歌」も演奏した。
そんなことで、ディーリアスのレコードは、バルビローリのEMI盤、Pye盤を始め、ビーチャムの古典的名盤など、あれこれ聴いてきた。
ただ、振り返ってみると、30年以上なじんできたディーリアスの音楽は、私の場合、ほぼすべてがオーケストラ曲だった。
初めて、ヴァイオリンとピアノだけのソナタを聴いて、「なるほど、ディーリアスだなあ」と感じなかったのは何故なのか、と考えて、どうやら、初めて聴く編成だからだ、と思い至った。
基本的にどの作曲家もそうだ。
別ジャンルでも、例えば、小田(和正)さんが、バンドで演奏しても、ピアノやギターの弾き語りをしても、そこには「小田和正の音楽」がある。
ところが、私にとってのディーリアスは、30年以上、オケ曲でしか聴いてこなかった作曲家だった。私に限った話、超個人的な話だが。
だから、初めて聴く編成のヴァイオリン・ソナタを、同じ作曲家の作品である実感を持ちつつ聴くことができなかった。
ヴァイオリンとピアノのデュオだから、オケ曲の色彩がない。メロディ、あるいは和声はディーリアスその人のものなのだろう、と推測しつつも、いわばエッセンスだけにしぼりこまれたような、ヴァイオリン・ソナタを聴いていて、慣れ親しんだオケ曲でのディーリアスと結びつけることが、とりあえず初回の今回はできなかった。
聴いていて、「何だかドビュッシーの音楽みたいだな」と感じた。これが初めて聴いての率直な感想だ。
ヴァイオリン・ソナタを今後繰り返し聴く中で、今回見つけられなかったものにふれることができるだろうか。
また、その後に、聴き慣れたオケ曲を聴いたら、また別の発見があるだろうか。
楽しみなことだ。