naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

初めてディーリアスのヴァイオリン・ソナタを聴いて

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昨日、今日と、ディーリアスのヴァイオリン・ソナタ集を聴いた。

スーザン・スタンツェライトのヴァイオリン、グスターフ・フェニェーのピアノ。
1番から3番と、遺作ロ長調の計4曲が収録されている。

聴いて、とても興味深く感じたことがある。まったく個人的な感覚の部分なのだが。

私は、ディーリアスのヴァイオリン・ソナタの存在は知ってはいたものの、聴くのは初めてだった。

で、聴いて思ったのが、「これ、ディーリアス?」。

興味深く感じたのはここだ。

どういうことかと言うと・・・。

ディーリアスとの出会いは、学生時代にさかのぼる。
3年生の時、大学オケで「楽園への道」を演奏した。36年前のことになる。
(当時は「デリアス」と言っていた)
その年の暮れに「夏の歌」も演奏した。

そんなことで、ディーリアスのレコードは、バルビローリのEMI盤、Pye盤を始め、ビーチャムの古典的名盤など、あれこれ聴いてきた。

ただ、振り返ってみると、30年以上なじんできたディーリアスの音楽は、私の場合、ほぼすべてがオーケストラ曲だった。

初めて、ヴァイオリンとピアノだけのソナタを聴いて、「なるほど、ディーリアスだなあ」と感じなかったのは何故なのか、と考えて、どうやら、初めて聴く編成だからだ、と思い至った。

モーツァルトだと、交響曲、協奏曲、室内楽曲、ピアノ曲、オペラ等々、並行して聴いてきたので、その聴体験の中で、どのジャンルにも共通する「モーツァルトらしさ」みたいなものが自分の中にできあがっている。

だから、初めて聴くモーツァルトの曲であっても、なるほどモーツァルト、と違和感なく、あるいは安心して聴くことができる。

基本的にどの作曲家もそうだ。

別ジャンルでも、例えば、小田(和正)さんが、バンドで演奏しても、ピアノやギターの弾き語りをしても、そこには「小田和正の音楽」がある。

ところが、私にとってのディーリアスは、30年以上、オケ曲でしか聴いてこなかった作曲家だった。私に限った話、超個人的な話だが。

だから、初めて聴く編成のヴァイオリン・ソナタを、同じ作曲家の作品である実感を持ちつつ聴くことができなかった。

ヴァイオリンとピアノのデュオだから、オケ曲の色彩がない。メロディ、あるいは和声はディーリアスその人のものなのだろう、と推測しつつも、いわばエッセンスだけにしぼりこまれたような、ヴァイオリン・ソナタを聴いていて、慣れ親しんだオケ曲でのディーリアスと結びつけることが、とりあえず初回の今回はできなかった。

聴いていて、「何だかドビュッシーの音楽みたいだな」と感じた。これが初めて聴いての率直な感想だ。

ヴァイオリン・ソナタを今後繰り返し聴く中で、今回見つけられなかったものにふれることができるだろうか。

また、その後に、聴き慣れたオケ曲を聴いたら、また別の発見があるだろうか。

楽しみなことだ。

(下の画像は、今日の会社帰りに山野楽器で衝動買いしてしまった輸入盤のボックス。管弦楽曲、コンチェルト、室内楽、声楽曲、オペラ。多彩なジャンルのディーリアス作品が収録されている。ディーリアスは今年生誕150年なんですね)