オケ練から帰って、パソコンでネットにさわり、吉田秀和氏の訃報に接した。
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの訃報、畑中良輔氏の訃報が続いた。
吉田秀和氏まで・・・。
98歳という。
畑中氏同様、「レコード芸術」最新号には、連載「之を楽しむ者に如かず」の原稿が掲載されていた。
この連載は、必ずしも毎号掲載されていたわけではなかったから、書店で最新号を買い求める際に、表紙に「吉田秀和「之を楽しむ者に如かず」」と表記されていると、ああ、氏は今月も健在で、原稿を寄せてくれたのだ、と思うのが常だった。
だから、98歳での訃報に、とうとう、という感を持つ一方で、いささかの唐突感はある。
いつかはこういう日が来る、とはもちろん思っていた。
それは、自分の親もいつまでも元気でいるわけではない、と誰もが思うのと同じ感覚だ。
それは、自分の親もいつまでも元気でいるわけではない、と誰もが思うのと同じ感覚だ。
ただ、これも、自分の母が亡くなった時と同じなのだが、「母が生きていないって、生まれて初めてのことだよなあ」と何とも言えぬ思いにとらわれたのと、似た気持ちが今ある。
私の身近には、氏の著書がたくさんある。トイレにも数冊を置いてあって、ほとんど毎日、どれかを手に取って数ページを読む。
もちろん、氏と面識はない。しかし・・・。
いつも、氏の新しい評論を読む時に、90歳を超えてなお、音楽評論家として必須である、鋭敏な耳を持ち続けていること、そして、それを文章に著す明晰な頭脳が健在であることに驚きを感じていた。
その吉田秀和氏も、とうとう、ということなのか。
98歳なんだから、仕方がない、と言えばそれまでなのだが。
おそらく、吉田氏にとって、20歳以上年下の小澤さんの現状、来年の復帰については、一番気がかりなことだったのではないだろうか。
吉田氏亡き今、小澤さんの元気な復活を願うや切である。