naokichiオムニバス

66歳会社員。ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

巨星落つ~吉田秀和氏の訃報

オケ練から帰って、パソコンでネットにさわり、吉田秀和氏の訃報に接した。

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの訃報、畑中良輔氏の訃報が続いた。

吉田秀和氏まで・・・。

98歳という。

畑中氏同様、「レコード芸術」最新号には、連載「之を楽しむ者に如かず」の原稿が掲載されていた。

この連載は、必ずしも毎号掲載されていたわけではなかったから、書店で最新号を買い求める際に、表紙に「吉田秀和「之を楽しむ者に如かず」」と表記されていると、ああ、氏は今月も健在で、原稿を寄せてくれたのだ、と思うのが常だった。

だから、98歳での訃報に、とうとう、という感を持つ一方で、いささかの唐突感はある。

いつかはこういう日が来る、とはもちろん思っていた。
それは、自分の親もいつまでも元気でいるわけではない、と誰もが思うのと同じ感覚だ。

ただ、これも、自分の母が亡くなった時と同じなのだが、「母が生きていないって、生まれて初めてのことだよなあ」と何とも言えぬ思いにとらわれたのと、似た気持ちが今ある。

40年余り前、高校1年の時に、クラシック音楽を聴き始めてから今日まで、「吉田秀和」は常に生きていた。常に何かを新しく書いてくれる人だった。

私の身近には、氏の著書がたくさんある。トイレにも数冊を置いてあって、ほとんど毎日、どれかを手に取って数ページを読む。

今日、訃報を知った後にトイレに入り、何となくいつものように、ちくま文庫の「世界の演奏家」に手が伸びたが、「この本を書いた人はもういないのだ」と思い、そのことの大きさに改めて心が揺れた。

もちろん、氏と面識はない。しかし・・・。

いつも、氏の新しい評論を読む時に、90歳を超えてなお、音楽評論家として必須である、鋭敏な耳を持ち続けていること、そして、それを文章に著す明晰な頭脳が健在であることに驚きを感じていた。

その吉田秀和氏も、とうとう、ということなのか。

98歳なんだから、仕方がない、と言えばそれまでなのだが。

今年1月、水戸で、小澤(征爾)さんが水戸室内管弦楽団の公演をキャンセルし、場内が騒ぎになった時に、居合わせた水戸芸術館館長の吉田氏が立ってスピーチをして、場を納めたと聞く。

おそらく、吉田氏にとって、20歳以上年下の小澤さんの現状、来年の復帰については、一番気がかりなことだったのではないだろうか。

吉田氏亡き今、小澤さんの元気な復活を願うや切である。