naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

入社同期の仲間の訃報

昨日夕方、打合せのために社外に出かけた。

メンバーが集まり、打合せが始まろうとした時、携帯電話にメールが入っているのに気がついた。

入社同期のYが亡くなったとの知らせだった。瞬間、自分の頭の働きが止まったような気がした。

Yは、5年近く前に会社を辞めて転職した。

昭和53年(1978年)に新卒入社した同期の男性社員は、文系7人、理系11人、計18人だった。

今回亡くなったYは、理系の1人だ。

入社間もなく、文系、理系1人ずつが退職し、16人となったが、その後は退職者もなく、いい仲間としてつきあってきた。

このブログでも、何度かふれているが、定期的に集まっての飲み会や旅行も続けている。

そんな中、50代になって、Yが転職すると聞いた時は、思い切った決断と、驚いたものだ。

Yとは、その後も、同期での飲み会がある時は、声をかけて参加してもらったりしていたが、最近は少々連絡がとだえていた。

そんな折の突然の訃報。

大学院卒なので、同期の中では年齢が上だったが、それでも在籍していればまだ定年前。
あまりに早い他界に、今回も、ただ驚くしかなかった。

昨日、今日、Yのことをあれこれ思い出していた。忘れられない思い出はいくつもある。

一つは、入社当時の現場研修でのこと。

Yと組んで、測量をしていた。文系の私は当然まったくの素人。Yに教わりながら、見よう見まねで言われるままに動いていた。

ふとした拍子に、レベルを載せていた三脚の脚を蹴飛ばしてしまった。

その時、Yが、ハッとしたように私を見て、「今、三脚蹴った?」と言った。

怒ったふうではなかったが、表情は真剣だった。

それを見て、ああ、理系の人は、大学でこういう勉強もしてきているんだ、そういう彼にとっては、三脚がずれるというのは、とんでもないことなんだ、と知った。

Yのことでは、もう35年も前のこの時のことが、忘れられない一番のエピソードだ。

もう一つ。私が労働組合の専従役員として仕事をしていた時のこと。

ある時、オルグで広島に出張した。

Yは、その頃、広島に勤務していて、職場組合員の立場でオルグに参加してくれた。

オルグの後、支部の組合員と飲みに行ったが、その中にYもいた。

確か、2軒目に入ったスナック。

カウンターに座った私の右隣に、女性の組合員、その更に右隣にYがいた。

既に一同相当酔っ払っていたのだが、その女性組合員が、本部役員である私に対して、組合の活動に関する日頃の不満をあれこれ言い始めた。

話はやがて、本部に対する批判に及んだのだが、Yは、クダを巻く彼女と、たじたじの私を、ニコニコしながら眺めつつ、時々、まあまあ、ととりなすような発言をはさんでくれた。

この時のことも忘れられない。

訃報から一夜明けて、今日。

ご遺族と連絡がとれず、葬儀日程に関する情報が結局得られなかった。

やむなく、同期の仲間には、メールでYが急逝したことのみ流した。

後日、都合のつく者で、ご自宅に弔問に行こうと打ち合わせている。

同期入社の者の初めての死。やはり重い。

同期の中で、他の者より早く会社を去り、いくらも経たぬ内に、今度は人生さえ一番早く終えてしまったのだ・・・。

月並みだが、今、こうして生きている者としては、在職期間を元気で全うし、長生きしなければ、と思う。

さあ、明日も元気で会社へ。