naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

吉原すみれ パーカッションリサイタル2014 《武満徹特集》

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

21日(金)、会社を出てから東京オペラシティへ行き、「吉原すみれパーカッションリサイタル2014」を聴いた。

すばらしい演奏会だった。

この演奏会は、日本経済新聞の「文化往来」欄に紹介されていたことで知った。

武満徹プログラムであることに加えて、打楽器音楽の演奏会であることにも魅力を感じて、当日券を買い求めた。

2階C2列1番。

●吉原すみれ パーカッションリサイタル2014 《武満徹特集》

日 時 2014年11月21日(金) 18:30開場 19:00開演
会 場 東京オペラシティ コンサートホール タケミツ メモリアル
打楽器 吉原 すみれ、山口 恭範、菅原 淳、小森 邦彦、前田 啓太
指 揮 杉山 洋一
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
曲 目 武満 徹 カシオペア~打楽器ソロとオーケストラのための(1971)
     武満 徹 ムナーリ・バイ・ムナーリ~打楽器のための(1967-72)
     武満 徹 雨の樹~3人の打楽器奏者のための(1981)
     武満 徹 フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム
            ~5人の打楽器奏者とオーケストラのための(1990)

ステージの上には、おびただしい打楽器。何という名前なのかわからない楽器も多い。

最初は「カシオペア」。

演奏者はカシオペア座の形(W字)に配置されている。指揮台は舞台上手寄り。

最初は指揮者だけが登場して演奏を始め、やがてソリストの吉原すみれが、下手から演奏しながら出てくる。

日頃しばしば聴くわけではないが、武満徹の音楽の響きは好きだ。

冒頭から、いわゆる「タケミツ・トーン」が流れると、ああ、この響きだ、とほっとするところがある。

ソリストは暗譜。どんな楽譜になっているのか、想像もつかないが、それをおぼえて演奏するというのは、これも想像がつかない世界だ。

15分ほどの音楽が終わると、そこから打楽器をすべて撤去して、次の曲のための配置換え。

打楽器は、楽器本体、マレットなどの道具も大小たくさんあるので、大変な作業だ。10人くらいのスタッフが出てきて、長いこと作業していた。
マレット1本といえども、不足してはいけないし、楽器や道具の置き方、並べ方、細かく微妙な条件があるだろうから、ホール側でなく、演奏者側の専門のスタッフだと思う。

今度は、舞台中央に打楽器だけがコンパクトに設置された。楽器なのかそうでないのかわからないような物も置かれている。

2曲目は、「ムナーリ・バイ・ムナーリ」。1曲目は、コンチェルトのような編成だったが、今度は吉原すみれと山口恭範の2人で、ステージ上の打楽器群を演奏する、二重奏だ。

打楽器群だけに照明があたり、ステージ上、そのまわりは暗くなった。

20分ほどのこの曲は、とても静謐な音楽。

非常にデリケートな響き(しかし、神経質ではなく、聴き手に緊張感を強いるものではない)。

そして、多彩な音。不勉強な当方には、何の楽器だかもわからないし、どうやって音を出しているのかもわからない、さまざまな楽器が、さまざまな音を織りなしていく。
つり下げられたシンバルの縁の部分を、弦楽器の弓でなでるようにして音を出したりしていた。

聴いていて、どういうわけか、私には、自分が今、夏のお寺の本堂にいるような感覚があった。

静かな本堂。動かない空気。
外に、蝉の声や、鳥の声や、鐘の音が聞こえる。

そんな感じがした。

最後は、柔らかい風がすーっと吹き去って行くような感じだった。確かな終結感があった。

また舞台転換。今度は、下手側から、マリンバヴィブラフォンマリンバが並べられた。

3曲目は、「雨の樹」。中央のヴィブラフォンを吉原すみれ、マリンバを、小森邦彦、前田啓太が演奏する、三重奏。15分ほどの曲だ。

この曲は、舞台上を暗くして、3人の奏者に順次スポットライトがあたる。

「ムナーリ・バイ・ムナーリ」は、ほとんど音程がない、打楽器の響きだけの音楽だったので、「タケミツ・トーン」と感じることが、私にはあまりできなかった。

しかし、この「雨の樹」は、1曲目の「カシオペア」と違ってオーケストラはいないものの、武満徹の音楽だ、とすぐ感じた。

メロディとリズムを持った短い動機が、3人の奏者によって組み合わされていく。シンプルでとらえやすい音楽だった。

同種の楽器で奏でられるので、響きもシンプル。

武満徹の頭の中では、雨の音がこのように聞こえていたんだろうか、と思いながら聴いた。

一柳慧の作品で、このような感じの音楽を聴いたことがあったような気がした。

最後は、Desdurの和音に収束した。

20分の休憩。

ロビーでは、CDの他、武満徹作品の楽譜も販売していた。「雨の樹」や「フロム・ミー・・・」もあった。ああいうのを買う人っているんだろうか。

サンドイッチを食べる。

ロビーで、高橋悠治氏、湯浅譲二氏、荘村清志氏を見かけた。
周囲を見ると、一般の音楽ファンには見えない人が多いような気がした。高橋氏、荘村氏のようなプロの音楽家、それから、若い人も多かったが、もしかすると打楽器専攻とか作曲専攻の音大生かもしれない。
(少なくとも、入場時に受け取った演奏会チラシの束の内容が、ふだん行く演奏会と全然違う。現代曲中心の演奏会や打楽器の演奏会のチラシが多かった)

その後、席に戻ったら、同じ2階席の最前列中央あたりに、池辺晋一郎氏が。
さらに終演後、船山隆氏もロビーで見かけた。

休憩後、最後の曲、「フロム・ミー・・・」は、再びオーケストラとのコンチェルト編成。
作曲者自身のプログラムノートによると、ニューヨークのカーネギー・ホールの100周年を記念して委嘱された作品で、演奏時間は約35分。
カナダの打楽器グループ、「ネクサス」と、小澤征爾ボストン交響楽団によって初演された。
チベットの「風の馬」と呼ばれる行事で用いられる五色の布が、作品の中では重要な意味を持っているようで、実際に、リボンのような細長い五色の布が、ステージから3階席をつなぐように設置された。
五色とは、白、青、赤、黄、緑。
この布は、曲の中で、何度かソリストが揺らせて音を出してもいた。

オーケストラは、1曲目とは異なり、ほぼ通常の配置。
5人の打楽器奏者は、ステージ前面、指揮者の左右に3人、そしてステージ左右の奥の角の部分に1人ずつ、計5人が配置された。
5人の奏者は、吉原すみれが白、山口恭範が青、といった具合に、上記の五色の衣装で演奏した。

この曲も、最初は指揮者だけが登場して、演奏開始。
やがて、打楽器奏者が加わるが、山口恭範、菅原淳の2人は、客席後方から登場し、演奏しながらステージに向かって歩き、用意されていた階段を使ってステージに上がった。

舞台中央の吉原すみれがヴィブラフォンを含む打楽器群、そして、ステージ奥、左右は、マリンバを含む打楽器群で、これを小森邦彦、前田啓太が演奏。つまり、3曲目の「雨の樹」と同じ分担だった。
そして、曲の途中で、この3つの楽器が、「雨の樹」を思い出させるように、動機の重なりの音楽を奏でた。プログラミングの意図を感じた。

コンチェルト編成とは言え、この曲も、作曲者のプログラムノートにあるように、静かな音楽だった。

そして、響きは、武満徹
時にフランス風であり、時にきわめて日本風な、この静かで幻想的な響きは、カーネギー・ホールの客席に、どのように伝わっていたのだろうか。

私にもわかる、平明な和声が、ところどころに出てきた。
佐渡裕氏の著書、「棒を振る人生」(PHP新書)に、武満徹が、「ハ長調ほど美しいものはない。ドミソほど美しいものはありません」と語っていたと書かれている。この「フロム・ミー・・・」の最後は、Cdurの和声とともに消えていった。
(余談になるが、3年前、佐渡氏が初めてベルリン・フィル定期演奏会を指揮した時、ショスタコーヴィチの5番とともに演奏したのが、武満徹のこの曲だった)

演奏会のメインにふさわしい大作。
個人的にはたぶん初めて聴く曲だが、存分に味わうことができた。

アンコール曲はなかった。

聴きに来てよかったと思える演奏会だった。
どの曲もよかったが、どれか一つ、と言われれば、やはり「ムナーリ・バイ・ムナーリ」が圧巻だったと思う。

それから、やはり、こういう音楽は、実演で聴いてこそ、と痛感した。
演奏会場の空間を満たす響きは、レコードでは体感できないものだろう。

新聞の小さな記事に目を止めた幸運に感謝しつつ、会場を後にした。