naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

千葉→木更津→中山→柴又

今日12日(月)は、妻と菩提寺の行事に参加。

新春初祈祷、ということなのだが、寺でやるのではなく、マイクロバス2台に分乗しての移動。以下に記す通り、結構な距離の移動だった。

菩提寺日蓮宗なのだが、寺の副住職(住職の子息)が、日蓮宗大本山中山法華経寺で年1回行われる、荒行というのに入って(入行(にゅうぎょう)というらしい)いる。

一行は、その副住職に面会し、併せて初祈祷を受け、さらに柴又帝釈天題経寺にも行って、参拝、祈祷を受ける、というものだ。

まず、日蓮宗のこの荒行についてだが、いただいた資料によると、毎年11月1日から2月10日までの100日間、全国各地から、大本山中山法華経寺にある、「日蓮宗大荒行堂」に、僧侶たちが集まってくる。今回は、約140人の僧侶が参加しているとのこと。

毎朝2時起床。水を浴びる行を1日7回。読経と写経に明け暮れる修行とのこと。
食事は、朝夕の2回。梅干し1個と白粥。
ふとんにゆっくり横になって寝ることはできないそうだ。
家族や友人と連絡を取ることは許されず、たとえ親が死んでも戻れない。
テレビや新聞などもだめ。

この修行を、5回行うことが求められているそうで、菩提寺の副住職は、今回が4回目とのこと。

入行から35日間を過ぎると、修行の合間に、数分間の面会が許されるようになり、全国から檀信徒が訪ねて来て、修行僧と面会し、祈祷を受けるのだそうだ。

今回の行事は、そういう目的で企画されたもの。父母の時代に参加していたかどうかは不明だが、父母他界後、初めての案内で、妻と参加することにした。

菩提寺集合は、6:50。

内房線に乗って、6:25に木更津駅着。

白々と夜が明けてくる木更津駅上空。

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7:00、住職、住職の子女、我々檀家一行は、2台のマイクロバスで寺を出発。高速道路に乗って、一路北へ。

朝日が差し込む車内。

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1時間ほど走って、PASAR幕張でトイレ休憩。

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原木インターを下りて、8時半前、大本山中山法華経寺に到着した。

祖師堂、五重塔を見ながら、奥へ。

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日蓮宗大荒行堂に到着。

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上空は、雲一つなく、荒行の場にふさわしい、凜とした空気。

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控え室でしばし待った後、修行僧との面会所へ。
面会にあたっては、全員マスク着用。修行僧に風邪などうつしてはいけない、ということなのだろう。

一同、しばし待った後、副住職が入ってきた。
年末に菩提寺に挨拶に行った時、既に2ヶ月近い修行を経て、20キロくらい体重が落ちたという話を、住職夫人から聞いていた。
確かに、ふだんお目にかかる副住職とは別人のようだった。修行の決まりなのか、剃髪されていた頭には髪が伸びており、また口ひげあごひげも生えていた。
短い挨拶があったが、声はいつもの副住職だった。

その後、別室で祈祷を受ける。
多人数の修行僧が一斉に読経するのは、大変ダイナミックだった。
修行中の副住職が、いわばセンターの位置。

副住職と再度挨拶する場があった後、外に出て、先ほどの祖師堂へ。
ここで、別途の祈祷を受けた。

11時頃、バスで出発、柴又へ。

帝釈天参道にある、ゑびす家という店で、昼食。

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再度、バス移動で、柴又帝釈天題経寺へ。

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ここには、2005年5月に、父母と一緒に来たことがある。もう10年近くになるんだ。

控え室で少し待った後、本堂へ。
一般参拝客が入らない、奥の間に通される。
毘沙門天の本尊というのが開帳されており、これを見せてもらい、祈祷を受けた。

本堂から、彫刻ギャラリーへ案内される。
そうそう、前回来た時にも見たが、建物に、仏教に関する木の見事な彫刻が施されているのだった。

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引き続き、中庭も鑑賞。

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帝釈天題経寺を出て、しばらく参道を散策することになった。

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一同は、再度集合して、バスで木更津に戻る行程だが、我々は、ここで失礼させていただくことにした。
住職始め関係者に挨拶して、参道を抜け、柴又駅から、高砂津田沼と京成線を乗り継いで帰った。

早朝に千葉を出て、木更津、中山、柴又とまわった1日。貴重な経験ばかりだった。