今日12日(月)は、妻と菩提寺の行事に参加。
新春初祈祷、ということなのだが、寺でやるのではなく、マイクロバス2台に分乗しての移動。以下に記す通り、結構な距離の移動だった。
一行は、その副住職に面会し、併せて初祈祷を受け、さらに柴又帝釈天題経寺にも行って、参拝、祈祷を受ける、というものだ。
まず、日蓮宗のこの荒行についてだが、いただいた資料によると、毎年11月1日から2月10日までの100日間、全国各地から、大本山中山法華経寺にある、「日蓮宗大荒行堂」に、僧侶たちが集まってくる。今回は、約140人の僧侶が参加しているとのこと。
毎朝2時起床。水を浴びる行を1日7回。読経と写経に明け暮れる修行とのこと。
食事は、朝夕の2回。梅干し1個と白粥。
ふとんにゆっくり横になって寝ることはできないそうだ。
家族や友人と連絡を取ることは許されず、たとえ親が死んでも戻れない。
テレビや新聞などもだめ。
食事は、朝夕の2回。梅干し1個と白粥。
ふとんにゆっくり横になって寝ることはできないそうだ。
家族や友人と連絡を取ることは許されず、たとえ親が死んでも戻れない。
テレビや新聞などもだめ。
この修行を、5回行うことが求められているそうで、菩提寺の副住職は、今回が4回目とのこと。
入行から35日間を過ぎると、修行の合間に、数分間の面会が許されるようになり、全国から檀信徒が訪ねて来て、修行僧と面会し、祈祷を受けるのだそうだ。
今回の行事は、そういう目的で企画されたもの。父母の時代に参加していたかどうかは不明だが、父母他界後、初めての案内で、妻と参加することにした。
菩提寺集合は、6:50。
白々と夜が明けてくる木更津駅上空。
7:00、住職、住職の子女、我々檀家一行は、2台のマイクロバスで寺を出発。高速道路に乗って、一路北へ。
朝日が差し込む車内。
1時間ほど走って、PASAR幕張でトイレ休憩。
祖師堂、五重塔を見ながら、奥へ。
日蓮宗大荒行堂に到着。
上空は、雲一つなく、荒行の場にふさわしい、凜とした空気。
控え室でしばし待った後、修行僧との面会所へ。
面会にあたっては、全員マスク着用。修行僧に風邪などうつしてはいけない、ということなのだろう。
面会にあたっては、全員マスク着用。修行僧に風邪などうつしてはいけない、ということなのだろう。
一同、しばし待った後、副住職が入ってきた。
年末に菩提寺に挨拶に行った時、既に2ヶ月近い修行を経て、20キロくらい体重が落ちたという話を、住職夫人から聞いていた。
確かに、ふだんお目にかかる副住職とは別人のようだった。修行の決まりなのか、剃髪されていた頭には髪が伸びており、また口ひげあごひげも生えていた。
短い挨拶があったが、声はいつもの副住職だった。
年末に菩提寺に挨拶に行った時、既に2ヶ月近い修行を経て、20キロくらい体重が落ちたという話を、住職夫人から聞いていた。
確かに、ふだんお目にかかる副住職とは別人のようだった。修行の決まりなのか、剃髪されていた頭には髪が伸びており、また口ひげあごひげも生えていた。
短い挨拶があったが、声はいつもの副住職だった。
その後、別室で祈祷を受ける。
多人数の修行僧が一斉に読経するのは、大変ダイナミックだった。
修行中の副住職が、いわばセンターの位置。
多人数の修行僧が一斉に読経するのは、大変ダイナミックだった。
修行中の副住職が、いわばセンターの位置。
副住職と再度挨拶する場があった後、外に出て、先ほどの祖師堂へ。
ここで、別途の祈祷を受けた。
ここで、別途の祈祷を受けた。
11時頃、バスで出発、柴又へ。
帝釈天参道にある、ゑびす家という店で、昼食。
再度、バス移動で、柴又帝釈天題経寺へ。
ここには、2005年5月に、父母と一緒に来たことがある。もう10年近くになるんだ。
本堂から、彫刻ギャラリーへ案内される。
そうそう、前回来た時にも見たが、建物に、仏教に関する木の見事な彫刻が施されているのだった。
そうそう、前回来た時にも見たが、建物に、仏教に関する木の見事な彫刻が施されているのだった。
引き続き、中庭も鑑賞。
帝釈天題経寺を出て、しばらく参道を散策することになった。
早朝に千葉を出て、木更津、中山、柴又とまわった1日。貴重な経験ばかりだった。