昨14日(水)、ネットのニュースで興味深いデータを見た。
一番長かったサザンは、一番短かったNMB48の8倍の時間だったのだそうだ。
今回の紅白、最初から最後までちゃんと観たわけではないのだが、確かに、この歌、短いなあ、と感じることがしばしばあった。
1コーラス目が終わり、間奏があって、その後、2コーラス目のサビからになってしまうケースが多かったと思う。
フルコーラスはともかくとしても、2コーラスもちゃんと歌わせてもらえないのか、と感じたのだった。
一方、近年の紅白の傾向として、メドレーが増えてきている。
まして、サザンなどは、メドレーでなく、ほぼ丸々2曲という感じではなかったか。
30年以上前、さだ(まさし)さんが、「関白宣言」や「防人の詩」を歌った当時の紅白は、1人当たりの歌唱時間が一律に決められていた。
さださんは、可能な限りイントロや後奏をカットしつつも、歌部分のカットには頑強に抵抗した。
表現したいものが、所定の歌唱時間に収まらないことはあるのであって、一律の時間を決めるのはおかしい、自分がそこに風穴を開けることで、他のアーティストにも続いてほしい、という趣旨の主張をしていたと記憶する。
それを機に、歌唱時間の上限が撤廃されたかどうか、明確に記憶していないが、今回見たデータを見ても、アーティストによってかなりの差があるのが現状であるようだ。
そのこと自体は進歩的でよいと思うのだが、やはり問題だと感じるのは、短い方の歌手が、いくつかの企画コーナーの時間確保のあおりを受けているのではないか、ということだ。
選ばれた「紅白出場歌手」としての枠の中で、調整が行われるのはまだいいかもしれないが、それと別の企画コーナー、今回だと、「アナ雪」だとか、「妖怪ウォッチ」だとかの時間枠を取るためだとすれば、それは、「紅白歌合戦」としては、本末転倒な話だろうと思うのだ。
まあ、昔から、紅白には、ショータイムやアトラクションみたいなコーナーはあって、こういうものに時間を割くくらいなら、ちゃんと歌手の歌を聴きたい、あるいは、もう1組出場歌手を増やせるのではないか、などの議論はあったものだ。
古くて新しい問題なのだが、近年の紅白には、特に企画コーナーのウェイト重視の傾向があるように思う。
ことにわかりづらいのは、今回のサザンや中森明菜のような、出てきて歌うだけの形でありながら、出場歌手としての選出でない存在。
これって、出場回数にカウントされるのかされないのか、などと細かいことはどうでもいいが、少なくとも、番組の中で言われていたように、「サザンの出場は、1日、2日前に決まった」とすると、その751秒を捻出するために、誰かが、急遽持ち時間を削られた、というようなことはないんだろうか、と懸念してしまう。
企画コーナーがあっていけないとは言わないが、やはり、選出された出場歌手の間で、過ぎた不公平はないようであってほしいと思う。