今日16日(金)、出社して、デスクで日本経済新聞を開いた。
いつものように、1面から順に読んでいって、最後に最終ページの文化面まできて、びっくり。
おーーーーっっっ、奈切先生ではないか!
大学オケでお世話になった、奈切敏郎先生が書かれた記事が、載っていたのだ。
名曲喫茶とは、という話に始まり、奈切先生がこのミニヨンに通った音大生時代の話、その店で、サロン・コンサートを始めて今日に至るまでのことが、記事には記されている。
すっかりご無沙汰している先生のお元気そうな近況を、嬉しく読んだ。
奈切敏郎先生は、元日本フィルの主席チェロ奏者である。
入部間もなく、「鬼の(地獄のだったかな)奈切弦練」と呼ばれる弦分奏があり、1プルトずつ、あるいは1人ずつ弾かされるのだ、と聞かされていた。
ほどなく、その弦練が行われた。
何の曲だったかは忘れてしまったが、弾き終わったら、先生が、にっこりして、「初心者?」と私に尋ねたことは、今でもおぼえている。
その後、分奏の指導に、また、練習後の酒にと、おつきあいいただき、かわいがっていただいた。
色々なエピソードを思い出す。
大学4年の春、先生のソロで、エルガーのコンチェルトを演奏した。
この時期、私は、演奏会のプログラムの企画編集の仕事をしていたのだが、その演奏会のプログラムの目玉企画として、ソリストである奈切先生と、指揮者のDavid Howell氏の対談を載せた。
対談は、荻窪の奈切先生の自宅で、私を含む複数の団員の進行で行われた。
対談が終わった後、荻窪駅近くの店に飲みに行った。
当時、私は喫煙しており、飲みながらセブンスターか何かを取り出し、先生に、「吸います?」と差し出したら、「お前、煙草なんか吸っちゃだめだよ。煙草吸ってたら、肺の中が真っ黒になってるぞ。それがきれいになるまで、何年もかかるんだから、すぐ止めろ」と叱られたものだ。
(実際に私が禁煙したのは、それから4年半後のことだった)
(実際に私が禁煙したのは、それから4年半後のことだった)
また、卒業後、日本フィルが木更津市民会館で演奏会を行った時、前半のプログラムが終わって休憩に入った時に、ステージに駆け寄って、「奈切先生!」と声をかけたことがあった。
先生は、びっくりして、「何で、お前、ここにいるんだ?」と言われたので、実家が近くにあって、と答えると、そうか、上がってこいよ、とおっしゃった。
舞台裏の楽屋廊下で、お茶を飲ませてもらいながら、短時間、話をしたものだった。
そして、卒業後の、奈切先生との一番の思い出は、2000年9月に、近い世代の大学オケOBが、大学の兼松講堂で演奏会を行った時に、指揮をしていただいたことだ。
今でも忘れがたい、一生の思い出となる演奏会。奈切先生には、それ以来お目にかかっていないかもしれない。
そんな中の、今日の新聞記事だった。
記事によると、先生も8年前に定年で日本フィルを退かれ、既に71歳になられたそうだが、このように、お元気でサロン・コンサートを続けておられることを知り、本当に嬉しかった。
大学オケのチェロの後輩であるS氏に、「読んだ?」とメールしたところ、門下生には告知があったのだそうだ。
いずれ、近い内に、機会が作れれば、荻窪までサロン・コンサートを聴きに行き、その後、久しぶりに杯を傾けたいものだと思う。