
開演10分ほど前にホールに入ったが、既にほとんどの席が埋まっていた(全席自由)。
客席上方に移動しながら空席をさがし、3階席の3C3列43にもぐりこんだ。
客席が暗転し、演奏者が登場。
オープニング・ステージ、第1ステージと進行。
ここで一旦メンバーはステージからはける。
以後、ステージの合間には、主宰の酒井先生、指揮の青木先生らによるMCが入って進行した。
既に30年近い歴史を持つこの合唱団は、2002年から、指揮・編曲に青木雅也氏を迎えて活動している。酒井先生によると、青木氏は「座付き編曲家」とのことで、今日演奏された曲目は、第3ステージを除いて、すべて青木氏の編曲(曲によっては、作詞も作曲も)による。
第2ステージの「北海道物語」、第4ステージの「ヨコハマ・ストーリー」は、カワイから楽譜も出版されているとのこと。
その「北海道物語」は、「ヨコハマ・・・」の好評を受けての第2弾で、今日初めて全曲が初演となるとのことだった。
この合唱団は、専属のコーディネーターも持っていて、メンバーは、ステージごとに違うおしゃれな衣装で登場した。
休憩の後、第3ステージは、小グループの演奏。
酒井先生のMCによると、合唱団の練習は、毎週月曜日の午前だが、それだけでは物足りないメンバーが、勝手に団内ユニットを作って活動を始め、このように定期演奏会の中で、成果を披露するようになったとのこと。
プログラムには、4団体が出演すると記載されていたが、最後の「ゴールデン・シンガーズ」は、ソロを歌う予定だった最長老のメンバーが、あいにく体調を崩されて、演奏中止となってしまったとのこと。
それ以外の3団体は、それぞれに違った個性のあるパフォーマンスで、大いに場内を沸かせた。
O氏は、「エイトドッグ」に参加された。
第4ステージは、手の内に入ったレパートリーであろう、「ヨコハマ・ストーリー」。
そして、第5ステージの前に、演出の大島氏がステージに登場して、話をされた。
団のための歌を作ろうということになり、大島氏が、メンバーにインタビューをして、それぞれの歌への思いを5つの歌の歌詞にした。作詞が大島氏、作曲は青木氏。
今回がその初演となるとのことだった。ただ、1曲目のみはまだ曲がついておらず、大島氏が歌詞を朗読する形となり、2曲目以降が歌われた。
この合唱団の思いが強く伝わってくる作品だった。
今回、この演奏会を聴いていて、すごいと思ったのは、全員暗譜であることだった。
これは創立以来の酒井先生の方針なのだそうだ。このことだけは譲らずにやってきた、とおっしゃっていたが、それにしても、これだけの数の曲を、歌詞も音符もすべて覚えて歌うというのは、大変なことだ。
また、平均年齢76歳の皆さんが、ステージ間での舞台の出入りがあるとは言え、ステージ上では全員が良い姿勢で立ったまま歌われているのも、大したものだと思った。
だって、我々、オケでは、椅子に座って楽譜見ながら弾いてるんだから。
歌はPAなしだったが、大きなミューザ川崎のホールで、3階席まできちんと聞こえてきた。ただ、歌において、言葉をはっきりと伝えるのは、やはり難しいことだと感じる場面もあった。
この演奏会は、歌だけでなく、歌いながらの身振り、アクションや、時に寸劇など、多彩な演出、パフォーマンスがあった。
演出や衣装コーディネートのスタッフがいるからこその、付加価値を感じさせる演奏会だった。
横浜の団体だから、小田(和正)さんの「my home town」を歌ってくれたらよかったんだけど。

とにかく、良い演奏会だった。
仕事で接していたのとは違う、O氏の顔、ふるまいを、ステージ上に見ることができたのが、私には何とも言えぬ思いだった。
会社を離れてから、こういう新しい世界を見つけ、そこで大きい楽しみを見いだしておられることが、私には、得難いものに感じられた。
そして、この演奏会を通じて、自分よりもずっと年配の皆さんの歌を聴きながら、「歌うということ」、「元気で生きるということ」の素晴らしさを、強く感じた。
人生に音楽があるというのは、何と幸せなことだろう。
60歳の私なんか、まだまだこれからだね!!
これからも、仕事にオケに、がんばらなければ。
終演後、出待ちをして、本当に久しぶりにO氏と会い、まとまらぬ言葉で演奏会の感銘を伝えることもできた。
このところの仕事が忙しい日々で、ひどく疲れていたが、そんな中、川崎まで出かけて本当によかった。大きな力をいただいた。