naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

定年の日。38年前のこと。

3月31日。

たびたび繰り返し言っていて申し訳ないんですが、定年到達の日。

しかし、今日で会社を辞めるわけではなく、社員としては定年退職ではありながら、明日からも、同じ職場で同じ仕事を続ける。

さだ(まさし)さんの「退職の日」を、折から思い出すが、その日で完全リタイアするお父さんを歌った歌詩とは、ちょっと違う状況である。

今日も、いつも通りの忙しい日々だった。そして、明日も、いつも通りに会社に行くわけだ。

例年と変わらぬ年度末の1日を、そこそこ残業して過ごし、退社。

とは言え、帰りに大丸の京橋千疋屋で妻にケーキを買い、帰宅してみれば、赤飯と紅白の刺身とビールが用意されていた。

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とりあえず、60歳年度末の今日まで、大きな病気をすることもなく過ごすことができ、明日からも仕事があることは、望外の幸せだとつくづく思う。

ところで、今日は、ふと、38年前、入社の年の3月31日のことを思い起こしたりした。

我ながら物持ちのよさに驚くが、卒業前、当時住んでいた国立のアパートに会社から届いた書類が手元にまだある。

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1978年3月6日、日本橋通郵便局の消印がある速達郵便。

入社式の前日、3月31日に本社に集合するようにと書かれている。

思い出すなあ。月並みだけど、昨日のことのようだ。

大学を卒業し、国立から木更津の実家に荷物を移して、数日を過ごした実家を、明日には出て、会社に向かうという、3月30日、母の実家の近くにある寿司屋、寿司竹で、一家4人で夕食をとった。

その時、店のテレビがニュースをやっていて、映し出されたのが、選抜高校野球。この日行われた、前橋=比叡山戦で、前橋高校の松本稔投手が、大会史上初の完全試合を達成した。

この時のテレビ映像は、今でも強く記憶に残っている。
(ちなみに、松本投手は次戦で打ち込まれ、この大会の決勝は、浜松商=福井商というカードだった)

一夜明けて、3月31日、会社からの指示通り、木更津から電車に乗って東京に着き、本社に出社。

地下食堂が集合場所だった。私が地下食堂に入って行った時にいたのが、同期入社のNだった。大人びた風貌のNを、最初は人事部の研修担当の人かと思ったのだが、話している内、同期だとわかって驚いたのが懐かしい。

以後、入社式から導入教育を経て、このブログでも何度かふれた、成田空港での現場実習。

この一連の期間は、今でも忘れられない思い出だ。

あれから38年。まさに光陰矢のごとし。

この間、支えてくれた両親、妻、そして、上司、先輩、同期、後輩、すべての人に感謝しつつ、また明日からの会社生活第2ステージをがんばりたい。

ありがとうございます。