九重親方が亡くなった。
力士としての千代の富士については、書くべきことが山ほどあるが、それはまたの機会に譲り、とりあえず言うとすれば、彼とは同い年、昭和30年、1955年生まれであること。
振り返れば、4年前、これも同い年の中村勘三郎が亡くなった。
その折にも書いたが、千代の富士が私の視野に入ってきたのが、十両から幕内に昇進した頃だったのに対して、勘三郎さんの場合は、彼がまだ子供で、勘九郎ちゃんと呼ばれていた頃から知っていたので、「同世代感」とでも言うべきものはさらに濃く、それだけに、早い死の衝撃があった。
「あまりに」、ね。
同い年の自分自身、会社では既に定年を迎え、雇用延長という立場で仕事をしている。
そういう身だと、どことなく、もう晩年、人生の終盤という感覚もないではないのだが、こうした報道にふれると、改めて、「自分が今死んだら、若すぎる、早すぎる、と言われる歳で、まだあるのだ」と感じさせられる。
歌舞伎役者などは、まだまだこれからという年頃。それだけに、勘三郎さんは、夭折、惜しいという受け止め方がされている。
そのことを思えば、自分もまだまだ、と思わねば、と、同い年の有名人の訃報に改めて思わされたりもしている。
まだまだ。