naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

大学オケ時代の指揮者の訃報

先刻、オケ練から帰宅し、メールチェックしたら、目を疑う訃報が入っていた。

 

大学オケ時代、常任指揮者だった、イギリス人のDavid Howell(デーヴィッド・ハウエル)氏の訃報だった。

 

知らせてくれたのは、1年先輩のヴァイオリンのKさん。

 

突然の知らせに、ただただ驚くばかりだった。

 

ハウエル氏は、私が大学オケに入部する前から常任指揮者で、1974年~1977年、在学中のすべての演奏会は、氏の指揮だった。

 

これは、1977年4月24日(日)の、津田塾大学弦楽合奏団アンサンブル・フィオリータと一橋大学管弦楽団の第8回合同演奏会のプログラムに掲載した指揮者プロフィルである。

 

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(余談になるが、この当時、アンサンブル・フィオリータの常任指揮者を務めていたのは、大友直人氏である)

 

1945年マンチェスター生まれ。イギリス王立音楽院ロンドン大学を経て留学生として来日。そのまま、日本に住みついて、今般、日本で亡くなった。

 

イギリス人が指揮者だったと言うと驚かれるが、日本人女性と結婚され、日本酒をこよなく愛する指揮者で、練習は流暢な日本語であった。

 

我々の時代は、純クラシックの演奏会だけでなく、サマー・コンサートでは映画音楽や日本民謡なども演奏していた。その管弦楽編曲は、すべてハウエル氏の手によるものだった。東京フィルを指揮した、編曲作品集や、ジャン=ピエール・ランパルと共演した邦楽編曲集のレコードも発売されている。

 

サマー・コンサートでは、氏の作曲によるオリジナル楽曲も2回演奏している。「ハウエルフォン協奏曲」第1番、第2番という曲だった。「ハウエルフォン」というのは、中に水を入れた大小の酒瓶を横に並べて吊るし、水の量を調整して音階を作り、マレットで叩いて独奏楽器とするものだ。チューブラベルのような形の楽器(?)である。2回とも私の1年先輩の打楽器のHさんがソリストを務めた。

 

また、個人的には、大学祭で演奏した、大学の校歌の編曲が忘れられない。

 

クラシックの方では、私の在学中は、シベ2、ブラ2、「第九」、フランクの交響曲、ブラ4、シベ1(前記合同演奏会)、ドヴォ8などを演奏した。

 

3年生になった時の演奏会で、エルガーの「コケイン」序曲、ディーリアスの「楽園への道」をとりあげ、これを機に、毎回の演奏会で、イギリス音楽をプログラミングするようになった。これは、私の卒業後も続く。

 

在学中、他には、ディーリアスの「夏の歌」、エルガーのチェロ協奏曲(前記合同演奏会)、ヴォーン=ウィリアムズの「すずめ蜂」序曲を演奏した。

 

1年生から2年生にかけての演奏旅行(沼津、清水、名古屋、木祖村。松本)で、氏と一緒に過ごしたこと。

 

2年生の夏、氏の自宅に何人かの部員が集まり、秋に演奏する「第九」についての座談会を行い、テープを起こして団内誌に掲載したこと。

 

前記合同演奏会のプログラムに、ハウエル氏とソリストのN先生の対談を載せたこと。

 

思い出は数限りない。

 

私の卒業後、何年か経って、仕事の本拠が大阪に移ったことから、大学オケからは離れられた。

 

個人的には、久しくお目にかかる機会がないまま、今日まで過ぎてきた。

 

一昨年、ハウエル氏がテレビ出演されるとの情報をOBルートで得て、久しぶりの指揮姿を懐かしく拝見した。

 

    大学オケ時代の指揮者がテレビ出演
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/64933503

 

大学オケOBのイベントに、氏が大阪から参加してくれるかもしれない、といった話を、その後も聞いた記憶がある。

 

三十数年ぶりにお目にかかる機会があるかもしれない、と期待を持ったものだ。

 

しかし、その機会は訪れることがないまま、突然の訃報に接することになった。

 

さっき届いたKさんのメールによれば、けさ、奥様からメールでの知らせがあったとのこと。

 

7月1日(土)、突然の急逝心不全での他界だったそうだ。

 

享年71歳。まだまだ若いのに。

 

ご冥福をお祈りします。