naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

フェニーチェ劇場 ラ・トラヴィアータ<2>

購入したプログラム冊子に挟まっていたキャスト表。

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15:28、暗転、チューニングが始まった。

前奏曲の途中で、緞帳が上がると、ステージ中央にベッドが置かれていて、ヴィオレッタが横たわっている。

3幕ではないのに? と驚く。

男たちが何人もやってきて、ベッドのヴィオレッタに紙幣を渡したり投げつけたりする。

どうやら、この時点での高級娼婦としてのヴィオレッタを表現しているようだ。

前奏曲が終わって、パーティーの場面へ。

(プログラム冊子に載っていた写真。実際の公演とは異なる部分もある)
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字幕は、イタリア語と英語が併記される形。舞台のかなり上方なので、目を往復させるのが大変だが、これに頼る人は少なく、敢えて目障りなものは離しているということかもしれない。

アルフレードはカメラマンで、カメラを通じてヴィオレッタを見初めたという設定らしい。「乾杯の歌」は、白いグランドピアノが運び込まれてきて、それを弾きながらアルフレードが歌う。

ヴィオレッタが一人になって、「不思議だわ」からのくだり、歌の切れ目で拍手が入ったのは残念だった。音楽の流れがとぎれてしまう。あれは要らない。

1幕の最後、アルフレードの求愛を受け入れるか葛藤するヴィオレッタのところへ、男が入ってきて、彼女を押し倒す形で幕が下りた。

カーテンコールはなし。

2幕は、森の中。これも意表を突かれる。本来はアルフレードヴィオレッタの家のはずだが。

上から紙幣が降ってくる。地面にはその紙幣が、あたかも落ち葉のように敷き詰められた状態。

(これもプログラム冊子の写真)
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ジェルモンとヴィオレッタのくだりでは、このオペラを観るといつもそうだが、ジェルモンというのは、身勝手な親だなあ、と思ってしまう。歌がいくら立派でも、歌っている内容はあまりに勝手だ。

その後の二重唱も、いかに音楽的に魅力があっても、ヴィオレッタの不憫さだけがきわだつ。

このジェルモン、遠目に生瀬勝久に見えた。

2幕の2場は、森の壁絵が撤去されて、あっという間にフローラのパーティに転換。

ミラーボールが下がっており、闘牛士のくだりでは扇情的な衣装の女性も出てきたり、退廃的な雰囲気。思わず、「カルメン」を思い出した。

ここでも紙幣が舞う。

1幕、2幕と、ばらまかれる金、舞う紙幣が演出のポイントのようだった。

アルフレードの蛮行を周囲が責めるところで、ジェルモンが乗っかって息子を叱るが、そもそもお前がこの事態を招いたんじゃないのか? と言いたくなる。

2幕のフィナーレは、とても立派だった。

カーテンコールはなく、1回緞帳が上がって、2幕が終わった状態を見せただけだった。

それにしても、このオペラ、ジェルモンもさることながら、アルフレードにしても、冒頭でのヴィオレッタへの純粋な愛情を貫くことなく、2幕ではひどいことをする。父親同様、身勝手さを感じる。

「道を踏み外した女」というより、「身勝手な男たち」の方がよくないか(笑)?

まあ、オペラで、ストーリーに違和感や文句があるのは、「魔笛」はもとより、「カルメン」もそうだし、よくあることだ。音楽だけでなくお話もすばらしいオペラ、というと何があるだろう。「ばらの騎士」、あるいは「マイスタージンガー」あたりか。

ビールを片手にそんなことを考えながら、休憩を過ごした。

3幕も、前奏曲の間に緞帳が上がった。

普通は病床として置かれるベッドがなく、ヴィオレッタは床に横たわっている。かたわらにテレビが1つ置かれている。テレビの画面は、いわゆる砂嵐の状態。

3幕の前奏曲は、1幕のそれと同じメロディながら、キーが半音高い。このことで、1幕ではまだ悲劇の暗示にとどまっていた音楽が、3幕のここに至って強さを増す。現実の悲劇の切迫を表していることがよくわかった。

謝肉祭の喧噪は、普通は部屋の外で聞こえるが、この公演では、群衆がヴィオレッタの部屋に乱入してくる。室内のヴィオレッタの状況とと馬鹿騒ぎが直接交わる。

待ちわびたアルフレードの登場で、抱き合う二人は、3幕の一つの見どころではある。しかし、2幕であの仕打ちをされて以来の再会で、ジェルモンからの手紙は介在しているにせよ、こうまで熱烈に抱き合うものか、と思わなくはない。

それやこれや、ストーリーや人物設定にあれこれ文句は言いたいものの、ここから曲尾まで、ヴェルディが与えた音楽は、何と完璧なことか。オペラの音楽として、有無を言わさぬものがあると、改めて実感する。

大詰め、ヴィオレッタがアルフレードに託す自分の絵姿は、かつて彼が撮影した写真という演出だった。

そして、幕切れに向かう「不思議だわ」では、ヴィオレッタが感じた光明を表すように、場内が明るくなる。これも演出意図だろう。

そして、ヴィオレッタが絶命したところに、職人が入ってきて、部屋の上手側にあった足場のところで、塗装か何かの作業を始める。

先の謝肉祭の群衆同様、関係者の悲しみと、外部の現実が交錯することで、その悲しみが矮小化される演出と思われた。

カーテンコール。

ソリストが順に出てきた後、ヴィオレッタが指揮者を舞台袖に呼びに行く。指揮者がピットの楽員を立たせたら、楽員はさっさと退場した。

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カーテンコールに合唱が出てこなかったのは残念。出してあげればいいのに、と思った。

18:38終演。

イタリアでヴェルディのオペラを観られるなんて、何て幸せなことだろう、と出張のついでの貴重な機会に感謝した。
(しかも、このフェニーチェ劇場は、「ラ・トラヴィアータ」の初演が行われた場所でもある)

ヴィオレッタとオケが特によかった。ジェルモンも立派な歌だった。

一旦ホテルに戻り、夕食に出かけた帰り、また劇場の前を通った。ひっそりと静まりかえっていた。

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