もしかすると、小田さんのステージに接するのは、これが最後かもしれない、とどこかで思いながら聴いた。
先日、NHKで、昨年のツアーのドキュメントをやっていたが、その中で、小田さんは、やはり70歳を超えてのツアーの疲労をしばしば訴えていた。
来年、2020年は、オリンピック、パラリンピックもあるし、おそらくツアーはできないと思われる。
翌2021年は、小田さんも74歳を迎える。
前日のMCで、「先のことはわかりません」と言っていたのも、次のツアーをやるとの約束ができないからだろう。
また、小田さんのことだから、「さよならは言わない」、つまり、これが最後のツアーだ、と決意していても、それを明言はしないのではないかと思う。
結果的にあれが最後だったんだ、という形になるように思う。
それが、私の場合なら、この2019年6月2日、四日市ドーム、かもしれない、と思ったのだ。
演奏が始まり、場内の反響、残響は、前日ほどには気にならなかった。席の位置が後ろ寄りになったからだろう。
また、弦も心地よく聞こえた。これも、前日はステージ上のスピーカーから上手寄りに外れた席だったのに対して、中央に寄ったからだと思う。
「言葉にできない」では、小田さんが、歌詞の「言葉にできない」の「で」を飲み込むように歌ったのが、いつもより気になった。ほとんど「言葉に・きない」と言っているように聞こえた。
それにしても、場内のビジョンに映し出される映像の鮮明なことに、改めて驚く。ステージ後方の一番大きいビジョンを、遠くから観ていても、本当に家庭内で4Kのテレビ(持ってないけど)を観ているかのような鮮明さだ。オフコースの時代から、こうした映像を用いていたが、30年、40年前の映像をここに持ってきたら、かなり遜色があるんだろうと思った。
後半1曲目の「坂道を上って」が始まると、多くの人が立って手拍子を始めたが、この曲はそういう曲ではないと思う。バラードではないが、じっくり聴くべき曲ではないだろうか。
「風と君を待つだけ」も同様で、これも立たないで聴きたい曲だ。この日は、立たない人が多かったので、よかった。
「この道を」は、弦がとてもよかった。しっとりと深みのある音が、曲の味わいを増していた。