9日(火)、新国立劇場で上演された「フィガロの結婚」を鑑賞。3日(水)の「トスカ」から中5日でのオペラである。
フライヤー。
今回の公演は、指揮者がエヴェリーノ・ピドから沼尻竜典に変更、またキャストについても、伯爵夫人とフィガロが変更になった。フィガロを歌うことになったダリオ・ソラーリは、前週の「トスカ」でスカルピアを歌った人である。
1・2幕、3・4幕が続けて演奏され、休憩は1回だけ。
私の席は2階3列34番。前週の「トスカ」は2階3列20番だったので、少し上手側に動いた形。
アンドレアス・ホモキの演出は、2003年から始まって今回が7回目。
コンクリート打ちっ放しの倉庫みたいな殺風景な空間。序曲が始まり、そこに引っ越しの段ボールが運び込まれてくる。登場人物は基本的に正面奥から出入りする。
プログラム冊子に掲載されている前回2017年の舞台写真。
最初の内、フィガロとスザンナの二重唱では、オケの響きがくすんで重く感じられた。
その後のフィガロのカヴァティーナ「ダンスをなさるならギターを弾いて差し上げましょう」のところで、チェロ奏者が1人ピットに入ってきて前の方に座るのが見えた。弦が切れたとかだろうか。
このあたりまでは、歌手がもっと速いテンポで歌いたいのにオケが後ろへ引っ張っていると感じられるところがあった。
運び込まれた段ボールは、伯爵やケルビーノがその陰に隠れるのに使われた。
合唱のメンバーは間隔を空けて立った。おそらく前回までの上演とは違うのだろう。
2幕で衣装箪笥が運び込まれる。これも以後の隠れ場所になる。
ケルビーノの「恋とはどんなものかしら」では、弦のピッツィカートをもっとくっきりした音で聴きたかった。
ここまで基本的に登場人物は舞台奥から出入りしていたが、ケルビーノが庭に飛び降りる場面では舞台前面側に飛んだ。以後ここに梯子がかけられて登場人物の出入りに使われるようになる。
2幕のフィナーレでは壁が動いて空間がゆがむ。前掲舞台写真一番下の左のような形。
2幕終了時のカーテンコールはなかった。
3幕も舞台装置はまったくかわっていない。休憩30分も要らなかったのではないか、と思ったが、歌手やオケの文字通りの休憩としてはもちろん必要だっただろう。
3幕と4幕はアタッカで演奏された。
4幕、庭での伯爵夫人とスザンナの服の交換は、それまで着ていた服を着なかったので、どっちが伯爵夫人でどっちがスザンナなのか、観ていてわかりにくかった。もっともプログラム冊子に載っていたホモキの談話によると、オペラ終盤では登場人物の社会的地位が捨象されていき、対等な2人の人間として描く意図があるとのこと。
なじみのあるオペラでもあり、最初から最後まで楽しむことができた。こういう抽象的な演出は好きではないが。
モーツァルトのオペラの中で、喜劇性という点では「フィガロ」が一番ではないか、と思った。
それから、重唱の魅力もきわだっている。
歌が語るものとオケが語るものとの一体感がすばらしい。やはりモーツァルトのオペラは奇跡的な宝だと思う。
今回の公演、スザンナがとにかく魅力的だった。役としてこのオペラで最も魅力的な存在であることはもちろんだが、この日の臼木あいさんのスザンナはとりわけ素敵だった。スザンナ本来の利発さに加え、ケルビーノ的なコケティッシュな要素も出していた。
「フィガロの結婚」は、宇奈月温泉での「湯の街ふれあい音楽祭モーツァルト@宇奈月」で、2017年に演奏している。ローテーション通りであれば、来年、2022年に演奏することになると思う。是非またこの奇跡の傑作を弾きたいものだ。
※この9日の公演のダイジェスト映像がFacebookに掲載されたので、転載する。
※舞台写真も同じくFacebookに載っていた。
https://www.facebook.com/nnttopera/posts/3825615357504715