年賀状というものを出し始めたのはいつからだったか。
たぶん小学生の頃だろう。友だちや先生とやりとりしていたような記憶がある。
子供の頃は、親(たぶん母)の思想として、「まだ正月にもなっていないのに、昨年はお世話になりました、今年もよろしく、などと書くのはおかしい。年賀状は正月になってから、新年の気分をもって書くものだ」というのがあって、実際そうしていたと思う。
それでもいつの頃からか、年内に準備するようになったが、「○日までに投函して下さい」という郵政側の号令には拘ることはなかった。
年末は何かと公私忙しいこともあって、大みそかになってから、紅白歌合戦を脇に、プリントゴッコでペタペタと印刷していたことが多かったような気がする。
年賀状の準備時期や方法の細かい変遷はもはやおぼえていないが、近年のパターンは、
・印刷面は伊東屋にネット注文(ハガキ込み)
・宛名面は「筆ぐるめ」を使って自宅PC・プリンタで印刷
・大みそか1週間程度前に投函(2022年は12月25日に投函した)
となっている。
伊東屋の印刷面の注文も、かつては店頭で申し込み、できあがり品も引き取りに行っていたものだが、今はネット注文。画面上でできあがりイメージをチェックできるから安心だし、2日後くらいには宅配便で届く。実に効率がよくなった。
かつて宛名面を手書きしていた頃は、一連の年賀状作業で一番時間を要したのがこの部分だった。excelの住所録を使ってPC印刷にした時は、省力効果に感激したものだ。
当時の家庭用プリンタは、今にして思えばのろのろとした印刷だったが、現在使っているキヤノンのプリンタはあっという間にハガキを吐き出してくれる。
年内に年賀状を済ませるようにしてからしばらくは、要する時間が長いことから、どうしても年末ぎりぎりまで持ち越すことが多かったが、今は注文もインプット作業宛名印刷も当時に比べるとはるかに短時間で済むので、余裕がもてるようになった。
「年賀状についてやることがない」「あとは元日に届く年賀状を待つだけ」の期間が年末1週間程度あるのが、何やら心もとないような感覚がある。これにはまだ慣れない。
さて、昨1日(日)、友人知人からの年賀状が届いた。
今年の年賀状では、今回をもって年賀状をとりやめる、という人が例年以上に多かった。80歳になったので、65歳になったので、など具体的な年齢はさまざまだが、多くは高齢が理由だ。
私自身、今年は68歳になる。かつ、会社生活から離れる。
200枚を超える年賀状を、いつまで続けるのか、と思わないでもない。
現時点での考え方としては、年1回だけ、ハガキ1枚だけのやりとりであっても、大切にしたい。
高齢になったからこそ、互いの「生存確認」のためだ。こちらの無事を伝え、相手の無事を知る。その意味での年賀状の意義は大きいと思っている。
ハガキ1枚のやりとりだけで済ませたくない相手とは、こちらが高齢になっている中、実際に会う機会を作ることも真剣に考えたい。
「いつでも会える」は必ずしも保証されないと思うからだ。
例えば、今年の年賀状では、前の会社の後輩で同じ大学の同窓でもあるF君に、近々連絡をとって会おう、と思い立った。
年賀状にはそのようなきっかけを与えてくれる「力」がある。