今日の朝日新聞朝刊に、「金大中拉致事件から50年 今も「謎だらけ」」という見出しの記事が載った。
そうか、50年、と思う。
それは、あの1973年の夏が私自身にとって特別なものだったからだ。
当時高校3年、受験生だった私は、この夏休みの時期、毎日木更津から東京まで予備校の夏季講習に通っていた。
原宿の代々木ゼミナールと、御茶ノ水の駿台予備校の2つに並行して行っていた。
受講スケジュールによって、御茶ノ水のホテルに泊まることもあった。
木更津から電車に乗って東京まで毎日行き来することも、ホテルというものに1人で泊まるのも初めてだったと思う。
翌年の春にめでたい成果をあげるため、がんばらなければならない、という意識ももちろん常にあった。
私の場合、もう一度あれをやれ、と言われてもやりたくない人生経験の筆頭は、大学受験だが、その中でも特別な生活だったあの夏休みは、半世紀経つ今でも記憶が濃い。
そんな夏休みを過ごす中で、金大中事件は起きた。
この事件が高校3年の私に強い印象を与えたのは、まず「拉致」という言葉だった。「誘拐」という言葉は、子供の頃からいくつかの事件が起きていたので知っていたが、「拉致」はこの事件で初めて知ったと思う。
また、単に言葉の違いだけではなく、大人がさらわれた、という点もインパクトを感じた。それまでの子供の誘拐事件では、子供なんだからわけもわからずついて行ってしまうこともあるのか、との理解もあったが、大の大人が白昼連れ去られることがあるとは、想像の外だった。
金大中氏が、ホテルにいて拉致された、という点も、自分自身、初めてのホテル泊まりを経験していたところだったので、大きかった。自分が泊まっているホテルのエレベーターホールでエレベーターを待ちながら、こういうところで無理矢理連れて行かれたのかな、と想像したのをよくおぼえている。
受験勉強に忙しかった私は、韓国の国内事情に疎かったこともあり、この事件について、以後強い関心を持って追いかけたわけではなかった。ほどなく金氏が無事に解放されたと報道されて、よくわからないが、よかった、と思った程度だったと思う。
また、金氏がその後の活動を経て大統領に就任した時は、あの金大中が、と思ったものの、今日に至るまで、この事件についての理解が深まったわけでもない。
今日でちょうど半世紀、との朝刊記事を見て、18歳だったあの夏休みの記憶の一端がよみがえったというところだ。
(この夏休みの東京通いに関連しては、家の中で話題になった「林隆三がピアノを弾けるかどうか」について、ラジオ局に電話したこと、それから甲子園の銚子商と江川卓の作新学院の試合が、金大中事件に並んで記憶に残っている)
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