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68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

「10年前」、「20年前」の距離感

金大中拉致事件が起きた1973年は、半世紀前。68歳の今、高校3年の受験生だったその時期を振り返ると、当然ながらものすごい昔、と感じる。

 

それはさておき、このところ時々思うのは、「10年前」と「20年前」についての距離感がずいぶん違う、ということだ。

 

10年前。2013年。58歳。

震災から2年後。

父が亡くなった年だが、自分の中では「もう10年になるのか」という感覚がある。

つまり、「ついこの間」みたいな感じ。

 

一方、20年前。2003年。48歳。

これは、「相当昔」という感じ。「20年も経つもんなー」という感覚である。

 

この違いは何だろう。

2003年から2013年までは10年。

2013年から2023年までも同じ10年。

間違いない事実だ。

それぞれの10年間、「いろんなことがあったなあ」と回顧する分量もまた、自分の人生にとって均等なはずなのだが。

 

10+10=20

もしくは

10×2=20

 

10年が重なった20年は、長いと感じるってことなのかな。

 

さて、これに関連して思うのは、「10年先」「20年先」について、だ。

小田(和正)さんが、50歳を過ぎた時、「これまでは人生を足し算で考えてきたが、50を過ぎると引き算で考えるようになった」と言っていたのを記憶する。

当時42歳だった私は、へえ、そんなものなのか、と思っていたものだが、68歳の今はその感覚が痛いほどわかる。

 

引き算。

それも、「人生いくつまで」、つまり終着点が、人それぞれに異なる引き算だ。

全員が80歳までとわかっていれば、68歳だからあと12年か、となるが、そういう引き算ではないのであって。

 

この引き算、別の言い方をすれば、「自分にはあと何年が残っているのか」になる。

 

10年先。2033年。78歳。

それくらいまでは生きていたいな。

20年先。2043年。88歳。

米寿は迎えたいな。

 

いつも思うことだが、単に生きているだけでは意味がない。元気でなければ。

誰かに迷惑をかけながら生きていて、長寿、めでたい、はない。

ブログタイトルの脇にある、「ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気」を貫けたらいいな。

 

いずれにせよ、神のみぞ知る、だ。

 

自分の人生が終わる時、もしそれを自覚できたとして、その時私は、2023年、68歳だった頃のことを、「ついこの間」と振り返るんだろうか、「相当昔」と振り返るんだろうか。