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68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

定期演奏会本番を終えて~ニールセンについて、中島章博先生の教えについて

11月26日(日)、浦安シティオーケストラの定期演奏会本番が終わった。

中島章博先生には、9年ぶり2回目の指揮をお願いしたが、本番に向けての半年間、中島先生のご指導を受けて、本当に勉強になったし、個人としてあるいはオケ全体としての課題を、いつにも増して考えさせられた。

それについて整理しておきたい。

 

今回の演奏会は、中プロにニールセンの1番、メインにベートーヴェンの7番をとりあげた。

 

今回各論の話としては、そのニールセンについての問題がある。まずこれについて。

 

選曲過程としては、メインのベト7が決まってから前プロ中プロを検討した。

中プロ候補としては、

  ○グリーグ ペールギュント組曲
  ○チャイコフスキー 幻想序曲「ロミオとジュリエット
   チャイコフスキー イタリア奇想曲 
   チャイコフスキー 幻想序曲「ハムレット
   ドヴォルザーク 交響詩「英雄の歌」
   リスト 交響詩前奏曲
  ○シベリウス 交響曲第7番

が挙がっていた。○印は、浦安オケとして過去に演奏経験がある曲だ。

ニールセンの1番は、当初中プロ候補としてではなく、ベト7との2曲プロにした場合の想定で、シベリウスの5番、6番と共に挙がっていた。

 

運営委員会での決定過程は明らかではないが、ともかくも、このニールセンを中プロとすることが会議では多数を占めたわけだから、「是非やりたい」という積極推進派、それに次ぐ「やってみたい」という賛成派が、他の候補曲よりも多かったと推測する。

 

しかし一方、この半年間の練習の実情としては、ニールセンの1番という曲が、オケの多数にとって必ずしもなじまれず、充分理解されないままに日々が経過し、中島先生から再三再四の指摘を受けた形だったと、私個人は認識している。

 

先生から繰り返し言われたのは、主にこういうことだったと思う。

 

・皆さんは、このシンフォニーになじんでいない。曲が理解できていない。

・本番当日、客席のお客さまの90%はこの曲を知らずに来ると思われるので、オケの側が、こういう曲なんです、と示すような演奏をしなければならない。

・そのためには、曲の構造、形式を知り、オケとして「設計図」を持って演奏し、お客さまに示すことが必要。

・そのためにはスコアを見るのが良い。曲の構造を理解して他パートとの関わりなどを自分の楽譜に書き込んでしまうことを勧める。

 

これらは早い時期の練習から言われていたことだが、回数を重ねても同じことを繰り返し指摘されたのは、オケとして先生の要求に応えられていなかったからだと思う。

 

練習での具体的な指摘の1つとして、随所に出てくるテンポの変化(だんだん緩めていく、あるいはだんだん速めていくなど)がちゃんとできないことがあった。

これについては、今回使用したパート譜の問題もあったのではないかと思う。今回のパート譜は、少なくともヴィオラに関しては膨大な誤りがあった。初期に気がついたので、時間をとってスコアの端から端まで見比べてみたところ、間違いだらけであることがわかった。拍子記号の誤り(2分の2が4分の4になっていたり)、音符の誤り、速度記号や発想記号の誤り。クレシェンド、ディミヌエンドの位置の相違まで含めれば枚挙に暇がなく、ヴィオラの場合、百数十箇所に及んだ(これらはトップのOさんと相談してパート内に展開した)。

そのことから、端的な例としては、指揮者としては後に出てくるtranquilloに向けて何小節かかけてテンポを緩めていきたいと話しているのだが、オケ側(少なくともヴィオラは)の楽譜にそのtranquilloがそもそも書かれていないので、どこの話をされているのかわからなかったりするのだった。

同様のことは他パートでもあったやに聞いているので、指揮者の指示をオケ側が根本的に受け取れていない場面が少なくなかったのではないかと想像する。

そこは今回のニールセンのさらに各論としての悪条件だったかもしれない。

 

アマオケの場合、仕事等の都合で欠席者も出てくる。欠席者への情報共有がどこまでできるかは難しい面もあるので、指揮者として同じ話を繰り返さなければならなくなることは、「アマオケあるある」なのかもしれないが、それにしても今回のニールセンについては、楽譜の問題もあってか、その頻度があまりに高く、中島先生にはストレスフルだったのではないか(指揮者への失礼度合い)という気が個人的にはしている。

 

結局、オケ側のなじみ不足、先生の表現を借りれば「付け焼き刃感」は本番近くまで続いた。本番間近の練習後に、先生が「今のニールセンはお客さまに聴かせられるレベルにない」とおっしゃったそうで、このことは団内に展開された。

(ただ、練習最終盤あたりから、全体の出来は上向いてきて、本番前日練習、本番当日の最終リハーサルでは、中島先生から一定の評価はいただけたと思う)

 

私の理解では、ニールセンと対照的にオケの誰もがよく知っている、人によっては知り尽くしているかもしれないベト7については、中島先生としてもそれを前提に高い要求をされ、オケもそれに向けて取り組んだと思う。

一方、ニールセンについては、オケの現状(立ち位置)から先生が本番に求めるゴール(バー)の高さは、ベートーヴェンと同じくらいだったかもしれないが、いかんせんその立ち位置自体が、ベト7よりは低いところに置かれたままだったのではないか、という感覚を持つ。

 

各論としてのニールセンに関して、「やらない方がよかった」と短絡的にかたづける気持ちはない。個人的には、弾いたこともなければ聴いたこともないこの音楽にチャレンジすることに意欲も感じたし、本番を終えてやはり貴重な経験ができたとも思っている。

ただ一方、今回、ニールセンとベト7という、なじみ具合がきわめて好対照な2曲を並べて取り組んだことで、それぞれの楽譜を音にする技術的な難易度「以前」の問題として、ニールセンにおいては曲そのものになじむプロセスに相当程度のエネルギーを割かなければならなかったことを痛感する(飛び越えるべきバーの高さは一緒でも、スタート地点のそもそもの立ち位置が違う)。

少なくともアマチュアの身としては、たとえ目の前の音符が技術的に難しかったとしても、曲自体はよく知っている、という方が高みを目指せるのではないかという気がする。

(推測も混じるが、例えばストラヴィンスキーの「春の祭典」だったら、今回のニールセンよりは団員のなじみ(弾いたことはなくても耳で聴いている度合い)が上だったかもしれないので、あの難曲であってももっと食いつけたのではないか、という気がする)

繰り返すが「ニールセンをやるべきではなかった」とは思わない。ただ、「なじみのない曲」をやるのであれば、その曲を推す人、積極的にやりたい人だけでなく、オケ全員が相応の意欲や覚悟と努力を傾けることが必要ではないだろうか(全員で演奏する以上)。

今回のニールセンの経験を、そうした意味で今後の選曲に活かしていければと思う。

 

以上が各論としてのニールセンについてである。

 

以下は、練習過程で中島先生からご指導いただいた、もっと普遍的な教えについて。

 

半年間の練習では、オケとして演奏するにあたっての様々なご指導をいただいた。

 

・目先の1小節ずつで音楽をしないこと。音楽全体の流れ、長いフレーズを意識して、個々の音の意味や目的を感じることが大事。

・目の前の楽譜を弾き終わってしばらく休みに入った時、その休みの間に音楽ができていない。自分が弾き終わったら終わりでなく、オケは音楽を続けているので他のパートが何をやっているか意識し、聴くこと。休みに入ったから音楽から離れていいものではない。

・休んだ後にまた弾き始める時は、自分の楽譜に書いてあるところから入るのでなく、その前から拍をカウントして準備すること。楽譜が書いてあるところからテンポをとろうとするのは、「信号機に来てから上を向いて見る」ようなもので、そこでブレーキをかけることはできない。信号機に向かっている時からカウントしなければならない。

・休符も同様。休符で音楽をすること。休符のカウントでは、日本人には難しいが、欧米人の「子音と母音」の感覚が必要。

・常に、弾いている、あるいはこれから弾く音符よりも細かいカウントをすること(4分音符に対しては8分音符、16分音符)。細かいカウントで準備をすれば、他パートと合わせる時、休みから入る時に怖くないし、楽に弾ける。

・「楽譜に書いてあるからやる」のではだめ。例えば、アクセント。その音符にアクセントがついているから1個1個やるのでなく、音楽の流れ、フレーズの中でどういう意味や効果があるかを考えること。

・クレシェンドやディミヌエンドも同様。クレシェンドを見て無目的に大きくしていってはいけない。クレシェンドの「行き着く先」がffなのかmfなのか、わかった上で大きくしなければならない。

 

自分の目の前の楽譜に、それも1小節1小節にこだわってはならず、音楽の大きな流れを意識した上で、個々の音符、指示、記号を表現するようにという教えだ。

 

これらは、中島先生だけでなく、毎回、指揮者の先生方からは共通して指摘されていることである。しかし、私個人としては、この半年の中島先生のご指導を通じて、いつも言われているこれらのことを、強い説得力をもって感じさせられた。

(先生からご覧になると、こうしたところが、オケがなじみきれなかったニールセンにおいては最も顕著だったのだろうと思う)

オケへの指導としておっしゃっていることは、イコール自分個人への指導であり、本番を終えて、先生のご指導、要求にもっともっと応えることができればよかったのに足りなかった、と痛感する。

(求められていることがわかっても、それを実行できるかどうかは別だ。例えば、スコアを読むことや、細かいカウントをしながら音を出すことは、私にとっては容易ではなかった)

 

それから、中島先生に何度も言われたのは、「練習で言うとその時は直っても、1週間経つと次の練習では元に戻ってしまっている」。これも他の指揮者の先生に等しく言われることだが、オケ側として「アマオケあるある」で済ませてはいけない。最低限パート内の情報共有には、もっとがんばらなければならないだろうと思う。

 

いつの本番にも増して、今回は考えさせられるところが多かった。

本番、またそれに向けての練習を振り返って、中島先生に深く感謝申し上げたい。