年末から、芸能人の訃報などを見ていると、ぼつぼつ自分の歳に近い人、あるいは自分より若い人が死んでいる。
例えば、八代亜紀さん。73歳での逝去だが、73と言えば私の場合あと5年しかないんだなあ、としみじみ思ったりする。
小田(和正)さんが、50歳を過ぎた頃に、「50を過ぎると色々なことを引き算で考えるようになる」と言っていたのを印象深くおぼえている。小田さん当人は、76歳になった今、どう感じているんだろうか。
つまり、「人生の残り時間」を意識することが増えた。病気や衰えにさいなまれながら長生きをするのも嫌だし、できるだけ長く今のように元気でいたいものだ。
もう1つ、昨年からの変化としては、会社を離れたこと。
つまり、1日24時間、1年365日がすべてプライベートの時間、自由時間になった。
これらを日々意識しながら過ごすことが多いのだが、最近ふと思ったのが、ある意味ですべて自由になる人生の残り時間をどう使うかにあたって、
やらなければならないこと
やりたいこと
にどう配分するか、ということだ。
改めて振り返れば、これは今に始まったわけではなく、それこそ小学生の頃から、
やらなければならないこと 学校へ行く、勉強する
やりたいこと 遊ぶ、マンガを読む 等々
という図式で今日まで来ているわけだ。ピアノの練習などはどっちだったかな。明確にピアノの道を目指していたわけではないから、「やりたいこと」の方に分類されるかもしれないが、練習は好きでなく母に追い立てられながらだったから、「やらなければ」の方が感覚的にはふぃっとしていた記憶がある。
さて、昨年6月までは「やらなければならないこと」の最たるものは、会社に行って仕事をすることだった。
それがなくなったら、全部が「やりたいこと」になったのか、というとさにあらず。
これまで仕事に追われておろそかにしていたことはたくさんある。例えば、家の中に物が増えてしまったので断捨離をする、とか。それこそ終活という観点からも、色々整理していかなければならない。
そうした諸々の家事や生活課題がいくつもあるのだ。これは「やらなければならないこと」に分類される。会社の仕事がなくなって浮上した「やらなければならないこと」だ。
一方、「やりたいこと」は、以前から仕事のかたわらにやってきた続きとして、オケ活動であったり、このブログやSNSなど、これも山ほどある。
会社を辞めたら、もっと満喫したい、などと思っていた部分もある。さしあたり現状では、楽器を弾くことについては、個人練習の時間が激増したし、レッスンにもついて学び直しを始めることができている。一方、運動の面では、通勤がなくなった分、歩くことを習慣化したいが、まだ実行できていない。
人生の残り時間が限られてきている中、元気な内に、とも考えると、「やらなければならないこと」「やりたいこと」の配分は重要性を増してきていると痛感する。
ここ2年ほど、このブログの投稿数が減った。フルタイムで仕事を続けながら60代後半になった体力的な影響が大きい。そのため、前なら随時載せていた旅行や演奏会について、ざっと言えば2022年の秋あたりから、その多くを投稿できずにいる。
在職中から、会社を辞めたら、そうした記事を書いて行きたいと思ってはいた。
しかし、今の考えとしては、ブログの投稿などというものは、「やりたいこと」に分類される典型であって、別にやらなくて誰が困るわけでもない。仕事のようにやらないことで誰かに迷惑をかけるわけではない。
となると、優先順位は下がる。まだまだ後まわしだな、と思う。
それよりは、こうして元気な内に、「やらなければならないこと」の方をどんどんかたづけていかないと、と思うのだ。
「やらなければならないこと」が尽きる日はたぶん来ない。一つ終わればまた何か一つ生まれるような気がする。
「やりたいこと」がなくなる日もたぶん来ない。
常に両者のバランスを考えながら生活していくことになるのは間違いないが、やはり前者中心で取り組んでいこうと思う。
「毎日が日曜日」ではないのだ、と。