1月29日(月)、「日仏文化交流に尽力した作曲家たち」という演奏会に行ってきた。
●日仏会館創立百周年記念 コンサートと対談 日仏文化交流に尽力した作曲家たち
日 時 2024年1月29日(月) 18:00開場 18:30開演
会 場 東京文化会館小ホール
ピアノ 入川 舜、岡田博美
対 談 片山杜秀、野平一郎
曲 目 小松耕輔 ピアノ・ソナタト長調(1922) (入川 舜)
平尾貴四男 ピアノ・ソナタ(1948-51) (入川 舜)
黛 敏郎 オール・デウーヴル(ピアノソロ版)(1947) (岡田博美)
<対 談 片山杜秀、野平一郎>
三善 晃 弦楽四重奏曲第2番(1967)
平 義久 ソノモルフィーⅠ(1970) (岡田博美)
牧野 縑 弦楽三重奏のための「アンテルミッタンス」Ⅵ(1987)
プログラム冊子から。
クァルテット・エクセルシオ。下の写真は、レジデンシャル・アーティストを務めるJ:COM浦安音楽ホールの内部である。
入口の表示では、18:30開演にもかかわらず終演予定は21:30とある。長い演奏会になるのだ、と思いながら入場待ちの列に並んだ。
全自由席。入場してすぐに席を物色した。ステージをまっすぐ見られる左右真ん中の位置で、前の人の頭が邪魔にならないように、1段高いK列の23番を選んだ。結果、この席は前2列に人が座らなかったのでさらに見やすかった。
さて、クァルテット・エクセルシオの先生方が出演されるので、チケットを買い求めたのだが、「知っている曲が1つもない」演奏会である。それどころか、作曲家の名前自体を聞いたことがない人も。
着席して、プログラム冊子にある、野平一郎氏の解説を読む。
日本では、明治時代に西洋音楽が入ってきてから、ドイツに留学した作曲家が教育の主流だったが、1920年代からフランスに留学する作曲家が増えた。
その第1世代が、小松耕輔、池内友次郎、平尾貴四男。戦後、彼らに師事した第2世代が、矢代秋雄、黛敏郎、三善晃他。さらに1960年以降、第3世代として平義久、丹波明、牧野縑らが台頭したのだそうだ。
今回の演奏会は、それら3世代の作曲家の作品を集めたものであることがわかった。
初めて聴く曲ばかりだが、単純に、「聴いて気に入ったか」、また演奏会のテーマから「フランス的なものを感じたか」の観点から聴いた。
幸い、開演しても客席は完全に暗転しなかったので、逐次野平氏の曲目解説も参照しながら聴くことができた。
1曲目、小松耕輔のピアノ・ソナタ。ト長調とあるので調性のある音楽だと想像していたがまさにそうで、1楽章はハイドンかモーツァルトのように始まった。「ゲンダイオンガク」ばかりを聴くことになるだろうと思いながら入場したので、これは意外。時にベートーヴェン的な感じも受けた。結構構築的で、そのベートーヴェンの5番のソナタを思わせる動機が聞こえた。あんまりフランスを感じないな、と思った。
2楽章はホ短調。楽章途中から突然フランス的な音になった。
3楽章はニ長調の主部とニ短調のトリオ。4楽章はト長調の快活な音楽だった。
面白かった。これは「気に入った」に分類。
ピアノソロと弦楽四重奏が交互に出てくるので、そのたびに舞台転換。大変だ。
クァルテット・エクセルシオが登場。普段の演奏会では女性3人はカラフルな衣装だが、この日は全員が黒系統。
池内友次郎作品。
前奏曲はチェロのレシタティーヴォのようなソロで始まり、tuttiになるとラヴェルのような感じ。半音階が多い。一旦止まって、ハ長調のフーガがヴィオラから始まった。このフーガも半音階が多く、ハ長調という感じが長く続かない。
最初のフランス的な感じに戻ってから、再度フーガが展開されたが、前半のフーガよりは明るい感じだった。
これは「気に入った」というよりもわかりやすかった。それは小松作品も一緒だが。
平尾貴四男のピアノ・ソナタ。
1楽章の序奏は、この演奏会初めて調性を感じない音楽。速い主部は魅力的な音楽。作曲者は「苦悩と不安に闘う魂のたたかい 一瞬かがやく叙情的な陽光も暗い嵐の雲で覆われてしまう」という言葉を楽譜に記しているそうだが、そういうイメージの音楽ではないように感じた。
2楽章は緩徐楽章。どこか日本的なものを感じた。調性も感じる。
3楽章は、無窮動的な音楽。どこか苦しそうな音楽で、フィナーレなのに晴れやかにはならない。にこりともしない音楽、という感じだった。
この曲は「気に入った」に分類。
解説によると、日本の音楽史上、非常に重要なソナタとのことだが、初めて聴く。
1楽章は、何か暴力的にピアノを鳴らす音楽。2楽章はトッカータ、これも暴力的。
演奏途中で、客席左の方からスマートフォンの着信音らしき音が鳴った。
3楽章は変奏曲だそうだ。1楽章がソナタ形式とされることともども、私にはわからなかった。1、2楽章が短かったのに対して3楽章は長かった。
ベートーヴェンの作品109のソナタに多くを負っていて、曲全体が緊密な構成感を持つと解説に書かれていたが、これもわからなかった。1楽章に少し作品109を感じてこれがそうかなと思ったりはしたが。
黛敏郎作品は、ドラム付きで演奏されることもあるが、今回はピアノのみとのこと。
1楽章はブギウギ、2楽章はルンバなのだそうだ。
ブギウギはそれらしいリズムを感じることができた。これも暴力的な感じはあるが、楽しい。
ルンバもベースとなるリズムが明確に聴けるのでこれも楽しい。最後の部分では、「ラプソディ・イン・ブルー」が引用されたような気がした。
これは文句なく「気に入った」へ。
この日、小ホールはほぼ満席の盛況。どの曲にも盛んな拍手が送られていたので、やはりこのジャンルの音楽が好きな人が多かったのだろう。
15分の休憩。この時点で19:54。この後対談もあるので、やはり長くなりそうだ。
客席に池辺晋一郎さんを見かけた。
後半は、片山杜秀氏と野平一郎氏の対談。
野平氏から、今回のプログラムの9曲はどうしてもやりたかった、と、解説にもあった、第1世代から第3世代までの日本の西洋音楽史の観点からの話があった。
片山氏は、前半の演奏の感想を交えながら、野平氏のプログラムコンセプトに沿って、日本の西洋音楽史についての対談をくりひろげた。
(途中、矢代秋雄の名前が話された時に、そうか、この人は「やしろあきお」なんだ、と最近亡くなった八代亜紀の顔を思い浮かんだ)
当初はもっとゆっくり話す予定だったようだが、時間が押しているということで、15分で終了。
マチネでやってくれればよかったのでは、と思った。
後半最初は三善晃作品。
クァルテット・エクセルシオにとっては、桐朋学園大学在学時の学長の作品ということになるだろうか。
前半、四重奏で演奏された池内作品とは全然違う音楽だ。
1楽章は速く、2楽章はゆっくりした音楽。3楽章は、ゆっくりした序奏(?)で始まり、速くなるが、最後はゆっくりして終わった。
解説でも対談でも言われていた「厳しい音楽」、確かにそうだと思った。
ここまでで、自分が「フランス的なもの」を感じられるか、とこの演奏会を聴いてきた意味を再考させられた。
私の聴体験として、「フランス的な音楽」のイメージは、ドビュッシーでありラヴェルであり、あるいはフォーレだが、まあそのへんだ。フランスに行ったことはないし、フランスの文学や絵画など、音楽以外の文化も不勉強だ。
その程度の蓄積で、「フランス的なもの」をこの演奏会の曲目から感じ取ろうとすること自体、意味があるのか? と思った。
特に、年代としては現代の音楽なのだから、ドビュッシー、ラヴェルよりももっと新しい時代のフランスの音楽を知らずして、そのような聴き方はできないだろう、と。
(メシアンは多少聴くが、デュティーユなどはほとんど知らないし)
平義久作品。
「余韻」、「飛翔」と称する2つの楽章からなる。
「余韻」は、タイトル通りのイメージ、ドビュッシーか? という音で始まり、違う展開になっていく。ただ、私の「浅いフランス」のイメージには合致した。
「飛翔」は、力強さ、活発さを感じた。
日本を別にして、西洋音楽そのものの歴史において、ドイツとフランスの関わりがどうだったのか、どう影響し合って、それぞれの国の音楽が成立していったのか、自分は何も知らないな、と思った。そもそもの話として、である。
牧野縑作品は、この日唯一の三重奏。セカンド・ヴァイオリンの北見春菜先生が降り番の形だった。
出だしから、これは「気に入った」だな、と思った。
構造的で、音楽の作りがわかりやすい。
途中、ヴァイオリンの長いソロがあった。その後、ヴィオラだけ、チェロだけのソロも。
とても面白く聴いたが、ちょっと長いかなという気もした。もう少し圧縮されても良いかな、と。
最後の丹波明作品は、この日の9曲の中では飛び抜けて新しい2012年の作曲。
丹波氏は、能を始めとする日本音楽の研究から不確定性のある作品が多いそうだ。
そうした解説は読んだものの、牧野作品同様、作りがわかりやすい音楽という印象を受けた。個々の奏者がやっていることがわかりやすいというか。
その意味で、これも「気に入った」に分類。
終演は21:37。後半は、電車の都合などからか、曲間に席を立つ人もいた。
初めて聴く曲ばかりの演奏会。興味深く貴重な経験ができた。