うねうねうね チャラチャラチャラ うねうねうね ・・・ 「田園」第2楽章
半分凍った雪が残る道を慎重に歩いて、オケ練へ。
今日も、団内指揮者、K氏の指導で合奏。
「田園」の1~3楽章。
「田園」の1~3楽章。
回数を重ねてわかってきたが、この1楽章ってのは、見た目、シンプルな2拍子なのに、すごく難しい曲だ。
四分音符の長さ、八分音符の長さ、十六分音符の長さ。
音の長さのニュアンス。
単純そうに見えるリズム。
そのへんの基本的なところが、なかなかK氏の望むようにならない。
今回は、指揮のS先生の意向で、前回のモツレク同様、対向配置でやるのだが、同一音型のかけあいがたくさん出てくる中、これもアンサンブル上のハードルは高いかもしれない。
四分音符の長さ、八分音符の長さ、十六分音符の長さ。
音の長さのニュアンス。
単純そうに見えるリズム。
そのへんの基本的なところが、なかなかK氏の望むようにならない。
今回は、指揮のS先生の意向で、前回のモツレク同様、対向配置でやるのだが、同一音型のかけあいがたくさん出てくる中、これもアンサンブル上のハードルは高いかもしれない。
よく知ってる音楽だし、簡単そうなのだが、全然そうでないことがわかってきた。
それから2楽章。
ヴィオラの楽譜は、大部分、分散和音である。
ドヴォルザークの「アメリカ」の2楽章も、ヴィオラは延々と分散和音の伴奏を弾く。
こういうのはよくあることで、ヴィオラ弾きとしては、やり甲斐のある役回りではある。
ウィンナワルツのキザミも含めて、こういうのを嫌がるようでは、ヴィオラ弾きは務まらないとさえ、常々思っている。
ヴィオラの楽譜は、大部分、分散和音である。
ドヴォルザークの「アメリカ」の2楽章も、ヴィオラは延々と分散和音の伴奏を弾く。
こういうのはよくあることで、ヴィオラ弾きとしては、やり甲斐のある役回りではある。
ウィンナワルツのキザミも含めて、こういうのを嫌がるようでは、ヴィオラ弾きは務まらないとさえ、常々思っている。
でもなあ・・・。
この「田園」の2楽章は、大変だ。小川の描写でもあるのだろうが、うねうねと十六分音符が果てしなく上がっては下がり、下がっては上がる繰り返し。
途中、メロディを弾かせてもらえる場面が時々出てくるのが救いだが、音符が細かくてまだ充分に読めていなかったりするものだから、うねうねうねうねと弾いていくのは結構気力、根気のいる作業である。
今日は、この楽章を3回弾いたが、最初の1回目は、何か弾いてても、気力がわいてこない。やる気のなさそうな音しかしてないなあ、と思いながら、わかっていても根気が続かないまま終わってしまった。
3回目はさすがに慣れてきたので、少し頑張れたが、ともかく、この2楽章は、気力が勝負という感じだ。
いい曲なんだけど。
この「田園」の2楽章は、大変だ。小川の描写でもあるのだろうが、うねうねと十六分音符が果てしなく上がっては下がり、下がっては上がる繰り返し。
途中、メロディを弾かせてもらえる場面が時々出てくるのが救いだが、音符が細かくてまだ充分に読めていなかったりするものだから、うねうねうねうねと弾いていくのは結構気力、根気のいる作業である。
今日は、この楽章を3回弾いたが、最初の1回目は、何か弾いてても、気力がわいてこない。やる気のなさそうな音しかしてないなあ、と思いながら、わかっていても根気が続かないまま終わってしまった。
3回目はさすがに慣れてきたので、少し頑張れたが、ともかく、この2楽章は、気力が勝負という感じだ。
いい曲なんだけど。
2楽章を終えて休憩の時に、セカンドトップ兼弦インペクのN嬢が、「これ、弾いててつまんない」と言う。セカンドも同じような楽譜なのだ。
「いやいや、これから弾けるようになってくれば、やり甲斐が出てくるから」と答えたが、実はこれ、自分に言い聞かせるための言葉だ。
N嬢、「そうかなあ」と納得してないふう。
まあ、お互いこの先頑張ろうね。2月には合宿もあるし。
「いやいや、これから弾けるようになってくれば、やり甲斐が出てくるから」と答えたが、実はこれ、自分に言い聞かせるための言葉だ。
N嬢、「そうかなあ」と納得してないふう。
まあ、お互いこの先頑張ろうね。2月には合宿もあるし。
今日はクラが2人とも欠席だったので、クラのいない「田園」はさみしかった。
ともかく、曲にだんだんなじんできて、先の道のりの遠さがわかってきた。
いつもそうなのだが。
いつもそうなのだが。