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68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

一発オケの思い出③~「兼松講堂リニューアル記念コンサート」(04年6月)

一発オケその3。

 

シベリウス交響曲を演奏する会」とは別の意味で、本当にいい経験をさせてもらったのが、04年6月13日(日)の「兼松講堂リニューアル記念コンサート」である。

 

一橋大学の兼松(かねまつ)講堂は、本学のシンボルとも言うべき建物だが、老朽化が進んでいることが憂慮される中、大学創立125周年記念事業として、改修工事が行われることになった。

 

もともと、この講堂は、入学式、卒業式が行われる他、大学祭の時にはコンサート会場としても使用されていた。
私の在学中も、グレープ、アリス、山下洋輔スメタナ四重奏団などが演奏会を開いた。
この機会にコンサート・ホールとしても通用する機能も強化しようという意見があり、それも含めた改修が行われると聞いた。
創立125周年記念事業の基金集めは、同窓会を通じて通知が来たので、ほんの気持ちだが応じた。

 

その改修工事が竣工し、こけら落としの演奏会が行われるとの告知が、同窓会の会報に載った。

 

●兼松講堂リニューアル記念コンサート

 

  指揮  尾高忠明
  ピアノ 園田高弘
  曲目  ドヴォルザーク 序曲「謝肉祭」*
      ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番変ホ長調「皇帝」
      ブラームス   交響曲第1番ハ短調
        *ドヴォルザーク一橋大学管弦楽団(現役)による演奏
        残る2曲は、「兼松講堂リニューアル記念オーケストラ」による演奏

 

これは是非行かねば、と早速にチケットを買い求めた。

 

それからしばらくたって、大学オケ4年先輩のS氏@Hrからメールをもらった。
S氏は、私を今いる浦安オケに誘って下さった恩人である。
読んでみると、この演奏会のオケの人数が足りないので、出てみないか、というのだ。

 

これはもう願ってもない話である。
是非聴きたいと思っていた演奏会に乗れる、それも、ミーハー的で何だが、尾高忠明園田高弘というビッグネームと一緒のステージに乗れるのだ。

 

乗ります乗ります、是非乗せて下さい、お願いします、と即座に返事をした。

 

練習は、本番前の1週間、月曜日から土曜日の毎日夜に兼松講堂で行われるという。
どんな無理をしても、という気持ちだったので、大変ではあったが、毎日仕事が終わると国立にまわり、そのすべてに参加した。

 

最初の2日は、副指揮者の新田ユリ先生の指導、そして、その後尾高先生の指導での練習だった。本番2日前の金曜日にはソロ合わせも。

 

この記念オケ、当初は、大学オケのOBと現役の混成オケだとばかり思っていた。
しかし、実際はそうでなく、大部分が現役の音大生(国立音大、桐朋学園、東京藝大)で、当の一橋は現役もOBも少数の参加なのだった。
ヴィオラの場合、一橋からは、現役の学生が一人、そしてOBは私一人だった。弦は他のパートも似たようなものだった。
学内施設のお披露目であれば、下手ではあっても大学オケ中心の編成である方が自然な気がしたが、何かの事情があったのだろう。

 

ともかく、そういうオケなのだということがわかり、素人の当方としては、大いに緊張したのであった。しかし、それでも、いい度胸というか図々しいというか、参加を辞退する気などはなく、頑張ることにした。
国立への日参の前は、平日に家でもさらった。大きい声では言えないが、ふだんはそんなことはしないのである。
気合いが入っていたというよりは、恥をかいたり追い出されては、という不安からだ。

 

そうこうしながらの合奏練習。
レベルの高い人たちにまじって、緊張しながら弾くことは、本当にいい経験だった。
プロの卵相手だから、新田先生も尾高先生も、言うことが違う。「あなたたちがこれからプロとしてやって行くからには」みたいな言い方を何度もした。
求めるレベルが違うのだ。
感心することばかりだった。

 

例えば、当たり前のことではあるのだが、ずっとフォルテで弾いてきて、突然ピアノになる時、このオケは、当然のようにすっとピアノになるのだ。
アマオケの場合、それがなかなかできない。フォルテのままで弾き続けて、よく指揮者に注意されたりする。
ピアノと書いてあれば、言われなくてもピアノにできる集団。それだけでもこっちはびっくりしているのだ。まあ、もちろん比較する方が失礼なのだが。
そういう中、一人だけフォルテで弾いて顰蹙を買わないように、という緊張の中で弾くのは、大変ためになった。

 

先生方の指導も、そういったことはもう当然とした上で、更にその上の仕上げをめざしている。
整ったアンサンブルなら、練習初日の譜読みの時点でもうできているのだ。ある意味で、もう本番にしてもいいかもしれない。
しかし、それを更にどうしていくのか、という次元の練習だった。自分自身がそれについていけた訳では全然ないのだが、半分は練習を見学しているような気分で弾きながら、得るところは、私にとっては余りにも大きかった。

 

ここでは、ふだん浦安でえらそうに弾いているようにして弾くことはできない。この中では一番下手なのだから。
そういう1週間の練習は、私のオケ観を大きく変えるものだった。
浦安に持ち帰って生かせる勉強がたくさんできた、密度の濃い1週間だった。

 

本番は満員の盛況。
ステージでの演奏は、夢の中にいるような気持ちだった。
一瞬一瞬を大切に、忘れないように弾いた。
コンチェルトも、ブラームスも本当に忘れ難い体験だった。

 

この演奏会は、その後「音楽の友」に記事が載った。
また、大学オケの現役の学生の手配で、演奏会の映像をDVD化したものが、後日記念品として出演者に配られた。
私にとっては、あの日の感激をよみがえらせてくれる宝物だ。

 

この演奏会でご一緒した園田高弘先生は、半年もたたない内に、忽然と他界された。
あんなに力強いピアノを弾かれていた方が、と新聞の訃報記事に目を疑った。

 

もちろん、練習の過程で言葉をかわす機会などなかったが、本番当日、講堂2階の廊下で先生と行き会って目が合ったことがあった。その時、先生の方から軽く会釈をされた。はっとして会釈を返した。
その少し後、リハーサルを終えて開演を待つ間、楽屋前の長椅子に仰向けに横たわって休息をとっておられる姿を拝見したのも印象に残っている。

 

私の場合、尾高先生に振って頂いて演奏する機会も今後おそらくないと思うが、園田先生と一緒に演奏する機会は永遠にない。亡くなられる半年前に、たった一度だけだが同じステージに立てたことを、本当に僥倖だと思っている。
 
※関連記事
     兼松講堂リニューアル記念コンサート(2004年6月13日)のプログラム
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/2021/05/15/112112