26日(土)は、4週間ぶりに木更津の実家の父の定期通院で、順天堂大学浦安病院へ。
いつものように、父母と一緒に担当医のI先生にお会いして診察を受ける。
終了後、これもいつものように、病院向かいにある薬局で薬をもらって、さて、これからどうしようかと相談。
父母は、今日は東京に出たいという話をしていたという。
父母は、今日は東京に出たいという話をしていたという。
靖国神社には、戦死した父の兄が祀られている。
京葉線で東京に出てから、地下鉄を乗り継いで九段下へ。
私の場合、九段下からの坂道は、日本武道館でアーティストのライブの時に歩く道だ。古くはオフコースから、昨年の小田(和正)さんまで、何度も歩いている。
右手に大きな鳥居があるのは、もちろん知っていたが、確か中に入ったことはこれまでなかったと思う。
右手に大きな鳥居があるのは、もちろん知っていたが、確か中に入ったことはこれまでなかったと思う。
大鳥居をくぐって父母と神社境内を歩く。
こうやって中をしげしげと眺めながら歩くのは初めてだが、やはり、そんじょそこらの神社とは違う威厳を感じるというか、何か厳粛な気分になる。
終戦の日からだいぶたつが、土曜日のせいもあるのか、ずいぶんたくさんの人が歩いている。
一番奥の本殿に到着。
小泉総理が昨年の参拝の時に、ポケットから小銭を出して投げ込んだのは、この賽銭箱なのか。
小泉総理が昨年の参拝の時に、ポケットから小銭を出して投げ込んだのは、この賽銭箱なのか。
おまいりをして、せっかくなので、お守りなどを求めた。
その後、そばにある「遊就館」に入ることにした。
日清、日露の頃は戦勝国であった日本が、大東亜戦争を始めたが、途中から選局が暗転していく。
その時期から敗戦までの展示品には、兵士の遺書などもある。
特に、特攻隊、人間魚雷「回天」のあたりは、胸が詰まるものがある。
その時期から敗戦までの展示品には、兵士の遺書などもある。
特に、特攻隊、人間魚雷「回天」のあたりは、胸が詰まるものがある。
「回天」は、現物が大展示室に展示されている。
この中に入って、敵の船に体当たりしに行ったのか、と思う。
回天に乗って出撃する、ある兵士が、遺書をレコードに録音しており、その肉声を聴くことができる。「みんなともっと楽しく暮らしたかった」としつつも、「自分はそれ以前に日本人なのだ」と言う。
国を守るため、喜んで命を差し出すことをいとわないこの兵士の思いを、どう考えたらいいのか・・・。
この中に入って、敵の船に体当たりしに行ったのか、と思う。
回天に乗って出撃する、ある兵士が、遺書をレコードに録音しており、その肉声を聴くことができる。「みんなともっと楽しく暮らしたかった」としつつも、「自分はそれ以前に日本人なのだ」と言う。
国を守るため、喜んで命を差し出すことをいとわないこの兵士の思いを、どう考えたらいいのか・・・。
靖国神社に祀られている人々の顔写真も、4部屋にわたって展示されている。
月並みな言い方ではあるが、この人たちの犠牲の上に、今のこの平和な日本がある。
徴兵されることもなく、近くの武道館で好きな音楽を聴いたりできる幸せを改めて思った。
徴兵されることもなく、近くの武道館で好きな音楽を聴いたりできる幸せを改めて思った。
1時間半ほど見て歩いたが、ひどく疲れた。
もっと丹念に時間をかけて見る値打ちのある博物館だ。
もっと丹念に時間をかけて見る値打ちのある博物館だ。
表に出て東京駅に向かう。
まだまだ残暑が厳しいが、日が照りつけることもなく、歩くにはよかった。
まだまだ残暑が厳しいが、日が照りつけることもなく、歩くにはよかった。
このチェーン店のカツは私も好きで、もう四半世紀食べている。
母は、カツもさることながら、ここの味噌汁が好きだという。
今年傘寿を数えた父だが、ロースとヒレの盛り合わせ定食を残さず平らげた。
何よりだ。
母は、カツもさることながら、ここの味噌汁が好きだという。
今年傘寿を数えた父だが、ロースとヒレの盛り合わせ定食を残さず平らげた。
何よりだ。
店を出て、総武線快速に乗って帰った。