私が生まれ育った昭和30年代は、まだ一般家庭のトイレは水洗式でなかった。
私の家も、汲み取り式のトイレだった。
定期的に、汲み取り屋さん(「肥やし屋さん」と言っていたな)がやってきて、料金と引き換えに屎尿を持っていってくれるのだった。
家のトイレが水洗になったのは、小学校の頃だっただろうか。
大学に入学して、前期2年間暮らした小平の下宿は、トイレは汲み取り式の共同。
私は2階に住んでいて、トイレは1階にあったので、腹を下した時などは大変だった。
私は2階に住んでいて、トイレは1階にあったので、腹を下した時などは大変だった。
後期に進んで、国立のアパートに引っ越したが、ここは自室に水洗トイレがついていた。部屋にトイレがあることも、それが水洗であることも嬉しかった。
ただ、それはトイレ掃除は自分でしなければならないことも意味した。
ただ、それはトイレ掃除は自分でしなければならないことも意味した。
78年(昭和53年)に今の会社に就職したが、一般家庭には水洗トイレが相当普及していたものの、私が身を置いた建設業の場合、現場事務所のトイレはまだ汲み取り式が多かった。
新入社員研修の一環で現場従事が1ヶ月ほどあったが、その事務所も薄暗い仮設のような汲み取り式のトイレで、それが嫌だったものだ。
新入社員研修の一環で現場従事が1ヶ月ほどあったが、その事務所も薄暗い仮設のような汲み取り式のトイレで、それが嫌だったものだ。
研修後は、本社に配属され、4年目の81年に、今いる品川の支店に転勤した。
その2年目、82年に、日立市にある工事事務所の総務担当を兼務することになった。
月2回、日立に通ったのだが、この事務所もまだ水洗でなかった。
その2年目、82年に、日立市にある工事事務所の総務担当を兼務することになった。
月2回、日立に通ったのだが、この事務所もまだ水洗でなかった。
そういう場合、業者に電話して汲み取りに来てもらうのも、総務担当の仕事なのだった。大学の経済学部まで出て、トイレの汲み取りを頼むようになるとは、という思いもなくはなかったが、建設業はそういうもの、会社で働くとはそういうもの、と認識した。
今では、当社の現場事務所も、短期の仮設でレンタル(東京マラソンの時に沿道に並んだみたいなやつ)する以外は、水洗式が当たり前になった。
水洗トイレの話が長くなったが、トイレと言えばもう一つ。
洋式便器だ。
洋式便器だ。
これも、私の人生においては、途中から現れたものだ。
自分の家、学校、デパートなどの公の施設、昭和30年代は、例外なく和式のしゃがむタイプの便器だった。
時期も場所も記憶が定かでないものの、そのトイレの様子は、明確に思い出せる。
やはり印象が鮮烈だったのだろう。
やはり印象が鮮烈だったのだろう。
そして、初めて洋式の便座に腰かけた時の、あの「とまどい」は、やっぱり忘れられない。母が、「誰が座ったかわからない便座に腰かけるのは嫌だね」と言ったのを覚えている。
今も、便器と肌との接触を嫌う人が多いという話を聞いたことがある気がする。
駅など公共の場で、和式の便器が完全に駆逐されないのは、そういう理由かもしれない。
今も、便器と肌との接触を嫌う人が多いという話を聞いたことがある気がする。
駅など公共の場で、和式の便器が完全に駆逐されないのは、そういう理由かもしれない。
今や、マンションなどの一般家庭では、洋式のトイレしかないのが普通だろう。
ということは、今の子供というのは、和式のトイレを知らずに育つんだなあ、と思う。ついでに言えば、男性の小用の便器も、今は一般家庭にはないだろう。私の子供の頃はあった。これも、今の男の子は知らずに育つのだろう。
ということは、今の子供というのは、和式のトイレを知らずに育つんだなあ、と思う。ついでに言えば、男性の小用の便器も、今は一般家庭にはないだろう。私の子供の頃はあった。これも、今の男の子は知らずに育つのだろう。
私自身は、和式トイレはまったく使わない。今は膝を痛めているということもあるが、それ以前からそうで、例えば駅やデパートなどでトイレをさがし、和式の個室しか空いていなかったら、そこを出て他をさがす。よっぽど切迫してなければね。