naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

エッセイを書こうと志したことがあった(後編)

では、2つ目のファイル。

初めての夜行寝台列車 03.12.9

 昔から電車の中で寝るのが好きである。

 朝の通勤電車では必ず寝る、というパターンはかなり早くから確立した。入社5年目まで住んだ北浦和の独身寮からの通勤では、南浦和で一旦下りて始発電車に乗り換えていた。正確に記憶していないが、たぶん入社2年目か3年目にはそうなっていたような気がする(一方、帰りの電車ではむしろ寝ずに過ごすことの方が多い)。
 その後、千葉の現場勤務時代(4年間)は自転車かバスだったが、その後本社に戻ってからは、電車通勤が復活した。当初は総武線の通勤。黄色い電車を使っていた。その後京葉線が全面開通して現在に至る。

 朝の通勤電車では、新聞を読むなど、もっと有意義な過ごし方をしている人も多いだろうが、小一時間の睡眠を車内でとった後に出社することは、私にとって仕事に臨むにあたっての生理的条件として、もはや不可欠のものになっている。

 通勤以外の場面になるが、電車の中で寝ることについて忘れられないのは、入社5年目の昭和57年から58年にかけての常磐線である。当時、品川の支店事務部に所属していたが、支店所属者が日立にある工事事務所の総務を出張で兼務するというパターンになっており、前任者から引き継ぎを受けて、毎月月初と20日前後の2回、日立に1年通った。確か上野を朝8時の特急に乗っていた。日立までは2時間。前記の通勤では、一度ならず乗り越しを行きも帰りもやっているが、2時間となれば、その気遣いはない。いつも進行方向右側の窓際席に座って、思う存分寝て行ったものだ。特に冬場、窓際の席は陽光が燦々と降り注いでこの上なく気持ちのよい暖かさとなる。そんな中で寝ていく心地よさは今でも昨日のように思い出せる。

 またその後の職歴では、労働組合の専従時代、頻繁に新幹線に乗った。この頃は、日中が丸々移動に使えたので、余り睡眠不足に陥ることがなかったせいか、車中では寝るよりもCDを聴きながら過ごすことが多かった。現在の人事部では、組合時代ほどでないにせよ、全国的な出張は秋に定期異動のヒヤリングでめぐってくる。歳のせいか、移動そのものが身体にこたえるようになってきた。そのため、車中ではCDはもともと持っていかないし、本は持って乗ったにせよ読まずにもっぱら寝て過ごすことがほとんどになった。03年の秋の一連の出張は、飛行機も含めて移動中はほとんど寝ていた。

 電車の場合、座っている身体に伝わる一定のリズムの振動が、眠りを誘うとよく言われる。その通りと実感する。

 さて長かったがここまでは前置きである。

 今年(03年)、勤続25年のリフレッシュ休暇で、国内旅行をすることになった。相談の結果、四国から京都をまわることとしたが、飛行機は使わず、東京から高松まで夜行寝台列車で乗り込むというのが妻の希望である。以前から北斗星に乗りたいという話は聞いていたが、この機に方向は違うが夜行でということらしい。

 私にとっては、四国へ行くのに飛行機を使わないのは勿論、寝台特急というものに乗るのも初めてのことである。

 座っていて列車の振動に眠りを誘われるのを常日頃の楽しみにしている私である。それが、寝台列車である。「横になってもいい」というのである。しかも、所要時間は9時間半近い。何しろ始発から終点まで乗る訳で、乗り越しなどしたくてもありえない。この間横になりっぱなしでいいのである。寝たいだけ存分に寝て構わないのである。これはさぞや気持ちのいいことであろうと、このプランには大きい期待を持った。

 その日の夕方、折悪しく雨の中だったが、まず東京駅近くの「北海道」八重洲店で、車中泊を含めれば5泊5日の旅行の門出の夕食。飲み食いは充分。更に時間があったので、八重洲地下街で藤田桂子氏のリフレクソロジー足裏マッサージまで済ませ、満を持してサンライズ瀬戸(22:00東京発、7:26高松着)の個室に乗り込んだ。
 しかし一体、何線の何番ホームに乗るのか、当初見当がつかなかったが、考えてみれば東海道本線から行くしかない。ときたま乗ることがある東海道本線の9番ホームであった。思ってみれば、名古屋に行くにも大阪へ行くにもこれまでは新幹線である。東海道本線のレールをたどって行くのは初めてのことになる。
 「北海道」でそこそこ飲んでいたし、明日からの旅行も昼夜飲み続けになるだろうと予想、ここは寝台で寝ることの方を優先し、缶ビールなどは持たずに乗り、早速寝る体制を作って横になった。そして22:00の発車。

 ところが。

 期待に反して全然快適でないのである。
 まず感じたのは、振動が身体に伝わり過ぎることだった。個室は階上階下交互に設置されており、我々の乗った個室は階下型のものだったのでそれがよくなかったのかもしれないが、ともかく寝ているすぐ下が床下という感じを受ける。すごいスピードで後へ後へと飛んでいくレールが見えるような気さえする。

 次に、それと関連するかもしれないが、振動がコンスタントでない。縦揺れに横揺れが混じる。振動の強弱も一定でないので、むしろ寝かかったところなのに振動で起こされてしまうこともある。
 特に大きい横揺れの時などは、ベッドから振り落とされるのではないかと思ったり、普段は全くないのだが、乗り物酔いを起こすのではないかと思ったりしたくらいだ。
 「寝台特急でベッドから乗客が振り落とされた」というニュースは聞かないから大丈夫だろうと思い直して寝る。そうすると今度は、車体がぎしぎし言う音が耳につく。前記の通り、床下がすぐそこという感覚もあるので、今何かの拍子に床が抜けたり車体の壁が壊れたりしたら、この寝たままの姿勢で下に落ちるか、車外に放り出されるかするような気がしてくる。まさかそんなことがある訳はないのだが、やることもなく寝ることだけ考えてじっと横になっていると妙な妄念も浮かんできてしまうのだ。そんなニュース(あったら大惨事だ)はまして聞いたことがないと思い直して振り払う。

 極力振動に逆らわず身をまかせるように心がけ、その内基本的には何とか寝られるようになった。日頃の出張で、ホテルの毛布1枚しかない固いベッドは、安眠感がなく不満を感じていたが、旅館のふとんを敢えて持ち出して比較しなければ、それと五十歩百歩という世界である。また、横になれる分だけ、国際線の飛行機に乗るのに比べれば、同じ9時間余であってもずっと快適であるという気もしてきた。
 ということで、初めてのこの環境に慣れるに従って、まあそれなりには充分寝て、睡眠不足の感は全くなく高松に到着したのであった。

 まあ、日頃寝つきのよくない人には勧められない乗り物だとは思った。これは間違いない。
 このサンライズ瀬戸、室内の設備も整って、初心者の私にも快適に過ごせたが、昔の寝台列車はこうではなかっただろう。それにつけても思ったのだが、その昔学生時代のさだまさしが長崎までの帰省で乗っていたという夜行列車はどんなふうだったのだろう。

後続なくブログ開設まで2年

以上が、当時書いたすべてです。

結局、エッセイ執筆宣言を別にすると、夜行列車体験談の1編のみが、当時残せた作品だった。
第2作は書かなかった(笑)。
03年12月9日限りのこと(爆)。三日坊主にさえなれなかった。

当時仕事がとても忙しかったこともある。
落ち着いてパソコンに向かって、何かの題材にもとづいて文章を書くという雰囲気が、自分で思い立ったくせに、まったくなかった。

そして、2年近くが経った、05年10月22日、今度はブログを始めることになる。
最初の、エッセイ執筆宣言の中でも、ネット上での作品発表にはふれているが、この時点では「ブログ」というものは私の視野にはなかったはずだ。
やっぱり、それだけの時間は必要だったということだと思う。

ご覧の通りで、これはちゃんと続いてきた。

まあ、ここに書いている記事は、当時志したエッセイというのとはちょっと違う。
それにしても、「ものを書く」という行為が、毎日ではないにせよ、結構な記事数で、今日まで2年半近く続いてきてはいる。

あの時と何が違うんだろう、と考えるに、やっぱり、「読んでくれる人がいる」ということなのだろう、と気がついた。

仕事ではないから、書くことがお金にならないのは同じだ。
しかし、03年当時のスタートは、読み手を想定しないものだった。

それに対して、このブログは、常連のブロ友さんを始めとして、不特定の方々に読んでいただけている。
時々はコメントもちょうだいできる。
やはり、そうした手応えが、続けてこられている一番の理由なのだと思う。

これからも、こんな調子で続けていきたいと思いますので、皆さんよろしくお願いします。
時には、ちゃんとしたエッセイにもチャレンジしてみますので。