naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

エッセイを書こうと志したことがあった(前編)

そういえばエッセイを書こうと思ったことがあった

数日前、エクスプローラでハードディスクの中のファイルをさがしていたら、「エッセイ」というフォルダがあるのに目が止まった。

そうそう、そう言えば、エッセイを書いてみようと思い立ったことがあったんだよな・・・。

03年の12月。4年ちょっと前のことだった。

フォルダの中には、ファイルが2つしかない(笑)。
つまり、書いてみようと思い立ったは思い立ったが、続かなかったということだ。

せっかくだから、ここに再掲してみる(固有名詞等一部修正してあります)。

では、まず1つ目。

エッセイ事始め 03.12.9

 余り本を読む方ではないが、読む場合は文芸書ではエッセイが多い。椎名誠群ようこの場合、彼らの小説は読んだことがない。買うのはもっぱらエッセイである。東海林さだおにしても、彼の漫画は週刊誌でたまたま目にふれる以外は全く読まないが、食を中心としたエッセイは文庫本だがほとんど全部揃えている。
 会ったことのない人たちではあるが、その人そのものが見える気がするというのがエッセイを好む理由である。

 仕事では文章を書くことが当然多いが、それは情報伝達を主眼とするビジネス文書である。自分そのものを表現するということだと、必然的にプライベートな領域となる。
 その昔、中学高校の時代には、同学年のMという女友だちと、学校で毎日会っていながらそれと別にほとんど毎日のように手紙のやりとりをしていたことがある。Mとは色恋の感情など全くありえぬつきあいであって、別の女生徒に対する恋愛なども相談していた。その後、大学時代に入り、当時交際していた女性とは当然に電話だけでなく頻繁な手紙のやりとりがあった。
 これらに共通するのは、若気の至りだが、自分の思いのたけをともかくその便箋に洗いざらい書き込まねば気が済まなかったということで、今から思えば、受け取った側には鬱陶しいものが少なくなかったであろう。現在の電子メールの作法本にいう「相手に負担をかけるメール」に似ている。
 さすがに、この歳になると、そこまで赤裸々な文章を赤の他人に送りつけることはなくなった。時代は変わり、今の時点で、「自分そのものを表現する場所」として文章を書くのは、紙の手紙でなく電子メールでということになっている。
 メールは短文で簡潔に、というのが常識でありながら、私のメールは長文になる傾向がある。純粋な連絡事項のやりとり以外の要素、つまり気持ちや意見を出し合うことを含めてやりとりをすることが最も多いのは、浦安オケの何人かの団員である。メールだから、長文に辟易していても表面的にはそういうレスはこない。それに甘えて、まあお互い意思疎通はできているものと思ってしまっているが、場合によっては、中学高校の頃と大同小異のことをしているかもしれない。

 以前から、文章を書くのは苦にはしていないから、何かの純粋な文筆活動をとは思っていた。送りつけるメールよりは、個人ホームページを開設してそこにアップする形をとれば、「見たい人が見る」のだから、まだ迷惑度は少ないだろうが、今はそこまでの時間的余裕もなければ技術もない。先々の課題だ。

 メディアはさておき、メールに耽溺し過ぎる陥穽からバランスをとるために、人に読ませることを当面の目標としない前提で文章を書き残すことを始めようと考えた。小説などは書けないが、人との直接会話で、過去の記憶や現在考えるところを話して聞かせるような感覚でなら、エッセイと呼べるものが書けそうに思う。不定期にであっても何か書き溜めることをしようということだ。年に何回できるかわからないが。
 一つにはこれもこの歳になって、何か生きた記録というものを残しておきたいという気持ちが出てきたこと。もう一つは、祖父が文筆家で、俳句やエッセイを本にまとめたのを見ているので、自分も何か少しでもものが書けたら、と常々思っていたこと。また、俳句をやる義母には、常々句作を勧められているし、その気がまったくない訳ではないが、それも先々の課題として、とりあえずは自然体で手のつけやすいエッセイからとしたい。
 今般、具体的に一つ書いてみようという契機になったのが、次のファイルであるが、会社のリフレッシュ休暇で生まれて初めて乗った夜行寝台列車の経験である。それでは、その第1作へ。

 ※後編に続きます