25日(水)、かつて出向していた職場の同期会に参加。
楽しい時間を過ごして、散会。
飲み会では、既に、肉だのピザだの、あれこれ食べていたのではあるが、単なる蕎麦屋ならともかく、へぎそばという貴重さに抗えず、一人で入った。
(このブログの読者でもあった母の存命中は、こういう、過ぎた飲み食いの記事を書くとよく怒られたものだ。今は、躊躇なく(笑)書ける)
メニューに「のりかけ」というのが載っていたので、へぎそばに海苔というのは珍しい気がして、注文してみた。
初めて入る店だったが、嬉しかったのは、注ぎ足し用の蕎麦つゆが出てきたことだ。
写真右上の赤い器は、蕎麦湯。これは、まあ、どこの蕎麦屋でも出てくる。
写真の右、蕎麦猪口の脇にちらっと見える白い器が、蕎麦つゆだ。
蕎麦猪口のつゆが少なくなったら、そこから足せる。
写真右上の赤い器は、蕎麦湯。これは、まあ、どこの蕎麦屋でも出てくる。
写真の右、蕎麦猪口の脇にちらっと見える白い器が、蕎麦つゆだ。
蕎麦猪口のつゆが少なくなったら、そこから足せる。
これは素晴らしい! と思った。
貧乏くさい話ではあるが、とっくりのような器に入ってきた蕎麦つゆを蕎麦猪口に注ぐ時、少し残しておく。
つゆを節約するように心がけながら食べ、とっくりにわずか残したつゆを気持ちだけ継ぎ足して食べたりするのだが、つゆの絶対量の少なさ、というのは、基本的にどこの蕎麦屋に行っても感じる不満である。
つゆを節約するように心がけながら食べ、とっくりにわずか残したつゆを気持ちだけ継ぎ足して食べたりするのだが、つゆの絶対量の少なさ、というのは、基本的にどこの蕎麦屋に行っても感じる不満である。
特に、名前を挙げて申し訳ないが、新浦安アトレの「家族亭」はひどい。ここでざる蕎麦を注文すると、既に蕎麦猪口につゆが入った形で出てくるが、これが、半分も入っていないのだ。
つゆをろくにつけずに食べるのを粋とする江戸っ子でない私としては、非常に困る。
つゆをろくにつけずに食べるのを粋とする江戸っ子でない私としては、非常に困る。
それが、この「江戸屋」では、使い切れないほどのつゆが、別に用意されているのだ。
こんなことは初めてで、感激した。
こんなことは初めてで、感激した。
肝心の蕎麦も、へぎそば独特の風味を堪能できるものだった。
飲んだ帰りに突然の衝動で入ったが、近い内に、もっとちゃんとした(笑)状態でお邪魔したい店だ。