naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

バッハばっはり聴いて

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福島章恭氏の新刊、「バッハをCDで究める」(毎日新聞社)を買ったのを機に、今週はバッハの音楽ばかり聴いてきた。

   パルティータ第1番、イギリス組曲第3番、フランス組曲第2番
   無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ全曲
   無伴奏チェロ組曲全曲
   平均律クラヴィーア曲集第1巻
   ゴルトベルク変奏曲
   トッカータ、パルティータ第2番、イギリス組曲第2番
   ブランデンブルク協奏曲第1番、第2番、第3番

で、思ったのだが、やはりバッハは基本的に苦手かな・・・。

クラシック鑑賞歴は高校からだから、もう40年近くになるが、好きで聴くのはハイドン以降。

クラシック聴き始めの学生時代は、レパートリーをあれこれ拡げたかったので、バロックはもとより、中世ルネサンス音楽のレコードまで買い集めたりしたこともある。
しかし、結局、バッハ以前の音楽は、私の「常食」になっていない。

結局、相性というか、好みの問題なのだろう。

バッハの音楽に価値を見いだせない、というわけではない。
ただ、好んで聴こうという気持ちにならないのだ。

「常食」と書いたが、飲食物に例えてみれば、私の場合、今後の人生で、たとえばケーキというものをまったく食べないとしても、全然つらくも何ともない。あるいは、緑茶を一生飲まないとしても、まったくどうということはない。

ケーキや緑茶そのもののおいしさ、味わいを否定するものではない。しかし、食べずにはいられないか、飲まずにはいられないか、というと、これはまた別の問題。

おいしいものへの好みは、人それぞれ。
また、栄養面での価値と好みは、必ずしもリンクしない。

で、バッハ。
バッハの音楽を否定するものではないが、私にとって、しばしば聴きたくてたまらなくなる音楽でないのも事実。

バッハのない人生など想像できない、とか、クラシック音楽の中でも比類のない高みにあるのがバッハだ、とか、考えている人は、世にたくさんいるんだろうなあ。

何で常食にならないんだろう。

まとめ聴きした機会に考えてみた。

昔から思っていることだが、バッハの楽譜を見ていると、何か「設計図」のような感じがする。完成予想図とか、完成写真とか、完成模型でなく。

無伴奏ヴァイオリンと無伴奏チェロについては、今回、生まれて初めて全曲聴いたのだが、こういう無伴奏の曲だと、特にその感が強い。

油絵とか水彩画でなくて、細い鉛筆だけで描いた単色の絵と言うのか。
そぎ落とすものをそぎ落としきった、エッセンスだけの音楽。

それでもチェロ組曲の方は、楽器の響きが豊かなので、包まれるような気もするが、ヴァイオリン1本となると、あまりにも凛として厳しい音楽と感じてしまう。

それから、これは、「バッハは嫌い」と公言する宇野功芳氏が言われていることだが、暗い、と思う。

バロック音楽にも共通することだが、短調の曲が多く、どこかもの悲しい。

今回、聴いてはいないが、「音楽の捧げもの」や「フーガの技法」も、主題は短調だ。

平均律のように、長調短調が半分の12曲ずつであっても、やはり短調が勝って聞こえてしまうのだから、やはり私はバッハには縁遠いのかもしれない。

ハイドンモーツァルトの、あの邪気のない、時にきらきらとした明るさを、バッハの音楽に見つけることができないでいる。

そして、おそらくこれは、バッハを愛してやまない方々からは、激しく反論(糾弾?)されても仕方がないのだが、私には、バッハの音楽から、何かの感情を感じとるのが難しい。
「理が勝った音楽」だと思われるのだ。

ベートーヴェンの音楽を聴く時にいつも感じる作曲家の「意志の力」。
あるいは、今、浦安オケで弾いているブラームスの1番の、たとえば4楽章、あのホルンのメロディや、その後に出てくる、弦の蕩々としたテーマ。そこには、本当に豊かな「感情」のほとばしりがあると思う。

バッハの場合、そうしたものが、私には聞き取れない。
これは、本当にブーイングを受けても仕方がないと思う。
この「バッハをCDで究める」でも、福島章恭氏は、「バッハの音楽には、人間のあらゆる感情が込められている」と書いている(帯にも同様の文章が)。
それを感じとれない私が悪いのだろう。

亡くなった黒田恭一氏が、相性の悪い演奏家などを評する時に、「自分は○○のいい聴き手でないようだ」と、よく書かれていたのを思い出す。

例外的に、繰り返し聴いているバッハの作品は、ブランデンブルク協奏曲(全曲)と、ヴァイオリンの協奏曲(4曲)だ。
特に、前者は、明るさと多様さがあって、あれこれの演奏を買い集めて聴いている。このへんも宇野氏と同じだ。
思ってみれば、ブランデンブルク協奏曲は、6曲全部が長調だ。

色々ネガティブなことを書いたが、そうは言っても、これからもバッハの音楽は聴き続けていくだろうと思う。
聴かずにはいられない音楽ではなくても、聴くべき音楽、聴く価値のある音楽として。

いつか、バッハの音楽を、今とは違ったふうにうけとめられる時がくるだろうか。

<追記>
今回聴いた一連の音源の中で、一番鮮烈な印象を受けたのは、アルゲリッチの弾く、トッカータ、パルティータの2番、イギリス組曲の2番だった。
バッハの音楽よりも、アルゲリッチの演奏の力を感じる。強い意思。音の輝き。
さすがだなあ、アルゲリッチ・・・。