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裁判員の大変さを思う~初めての死刑求刑

秋葉原の耳かき店の女性店員とその祖母の殺人事件、裁判員裁判として初めての死刑が求刑された。

判決は11月1日(月)。明日から裁判員は評議に入るそうだ。

多少の関心から、ネット上のニュースに載っていた公判記録を読んでみた。

今日までの5回分の公判記録を、かなり詳細に読むことができた。

今回の裁判では、殺人を犯したという起訴事実に争いはなく、責任能力についても争いになっていない。

結局、量刑だけが問題のようだ。死刑なのか、死刑を回避するのか。

で、思ったのだが、自分が裁判員だったらどうするだろう。

2人が殺されたという事実に争いはない。

さすがにネット上には写真までは掲載されていないが、法廷では、殺人現場や遺体の写真が見せられている。

論告の内容に加えて写真となれば、これはもう凄惨な犯罪だと強く感じるだろう。

さらに、法廷では遺族から「謝罪も賠償もいらないから、極刑を」との悲痛な言葉。

これだけの材料が揃ったら、私などは、「これ、どう見ても死刑でしょう」と簡単に思ってしまうのではないだろうか。

弁護人もその立場で情状を色々訴えたり、精神科医を連れてきて犯行時の被告の精神状態について所見を述べさせたりした。

被告の母親も出てきて、家を売って賠償にあてるなど、誠意のある話をしていた。

しかし、いかにも勝ち目はないという気がする。

というのが、ネット上の情報を見ての、一市民の感覚的な意見。

だが、裁判員の人って、そうはいかないだろう。そんな雑駁な判断ではだめなんだろうな。

これまでの公判の内容を子細に検討し、検察側、弁護側の主張を比較して、求刑通り死刑にすべきかどうかを決めなければならないのだ。

過去の同種の事件の判例も当然勘案しなければならない。

大変な役目だ。

日本で初めて、「死刑の判決を下す裁判員」になるかどうか、という、今回固有の注目度もプレッシャーだろう。

人の命を奪った被告を許せないという気持ちや考えがあるとして、だからと言って、被告という人間の命を奪う判断を自らができるのか、というある種矛盾した判断を、6人の裁判員は迫られる。

どのような結論が出るのだろうか。

これも素人考えなので、不穏当であればお詫びするが、「起訴するかどうか」を決めて、後は裁判にまかせる検察審査会に比べると、裁判の結論を出さねばならない裁判員は、大きな重圧があるのではないだろうか。